友達になる

インターネットを介した人間関係って難しいですね。ブログや SNS における人様とのお付き合いは、顔が見えず言葉だけが頼りです。だからちょっとした言葉の使い方が人を傷つけてしまうことがあります。そんなとき、母語である日本語の難しさを感じます。

実際、私自身もブログや SNS で何度か他人の言葉に傷ついたことがあります。逆に、私が誰かを傷つけてしまったこともあるかもしれません。自分では言葉には細心の注意を払っているつもりでも、受けとる相手がどう感じるかがすべてなんですよね。

ブログにコメントをいただくと、コメントバックをしますが、書いた後で何度も読み直しをします。この表現はコメントをくださった方に失礼かもしれないと思い、3回か4回書き直すことがあります。逆に馬鹿丁寧になりすぎて、ここまで卑屈な書き方はしなくてもいいかなと思う時も書き直す場合があります。コメント欄は本文と違って編集ができません。数日経って書き直すと、書き直した日付になってしまいます。コメントバックは旬が命。だから神経を使います。それでも、何か変なコメントを返信しているのではと思い、あとで読み直すことがあります。何だか病気みたい。(>_<)

さて、今日は以前から気になっている言葉について書きたいと思います。

Facebook を利用している方は多いと思います。私も一年くらい前にアカウントを取得しました。目的は特になく、どんなものだろうというただの好奇心です。

本題に入る前になんですが、「Facebook をやっている」という言い方をよくききます。これって正しい日本語なんでしょうか?

Facebook は SNS (Social Network Service) の一種ですから、日本語では「サービス」になると思うのですが、サービスって「やる」もの?私はサービスは「利用する」ものだと思っていたので、「やる」は変な気がしています。しかし、「今日は Facebook を1時間利用したの」とは言わないみたい。「今日は1時間 Facebook をやってたの」という方が耳に馴染みます。日本語の文法に詳しい方がいらっしゃったら、このあたりのこと教えていただけるとうれしいのですが。

前置きが長くなりましたが、今日は Facebook のある文言が気になっていますというお話です。

ある文言とは「友達になる」というフレーズです。自分のページを作って、初めてこの文言を見たときに、ぎょっとしたんですね。皆さんはいかがでしょうか。実はどなたかがこのことをブログか何かで書かれているのではと思い、検索したのです。その結果はゼロ。ということは、「友達になる」に違和感をもっているのは私だけなのかもしれません。なので、極めて少数派の意見かもしれないということを、お断りをしておきますね。

さて、「友達になる」は、この人と友達になりたいと思ったときに押す、友達申請用のボタンです。以前、大手英語教材会社の SNS に参加していたことがあったのですが、その時のボタンは「友達申請する」と表記されていました。これについては全く問題を感じませんでした。読んで字のごとくですからね。

一方、Facebook の「友達になる」はどうでしょう。この文言に私が違和感をもつのは、友達申請する側が、あたかも「友達になる」ことを決めるように思われるからです。

「友達になる」ことを決めるのは誰?それは友達申請をされる側ですよね。友達申請をされて、それを受けた側が「いいですよ。友達になりましょう。」と決めるんです。友達申請をする側には何の決定権もありません。それなのに「友達になる」って、申請する側が主導権を握っているかのような気がするのです。何だかずうずうしいいと思うのは私だけでしょうか。

そんなわけで、私はこのフレーズが妙に気になりました。そこで、英語バージョンではどうなっているのか言語設定を変えてみました。すると…「おお、そうだったのか」と納得しました。

わかったこと --- 「友達になる」の元となっている英語は Add friend でした。

ここであるフレーズが頭をよぎりました。それは…Add bookmark です。

ひょっとして Add friend は Add bookmark と同じノリで作られたのではないのでしょうか。

「はあ?」と思われるかもしれませんがこういうことです。

Add bookmark は「ブックマークを追加する」ということです。気に入った URL を登録するときに、この機能を使いますよね。Explorer だったら「お気に入りに追加」です。bookmark は気に入ったものであれば何でも登録できますね。そして、もう必要ないと思ったら簡単に削除できるんです。とっても便利な機能です。

一方の Add friend については、「友達になる」ボタンでお気軽に友達登録できます。もちろん、友達申請された側が承認しなければ、友達として登録はされません。しかし、「友達になる」という文言からわかるように、すでに「友達になる」ことは前提としてあるわけです。なので、とっても簡単に友達登録ができる点が、Add bookmark に似ています。そして、もうこの友達はいらないと思ったら、その友達を簡単に削除できるという点では、全く bookmark のシステムと同じです。

このように比較してみると、Add friend は Add bookmark のバリエーションなんじゃないのって私には思えるのです。つまり、Facebook における「友達」は bookmark の URL と同じ位置づけなのではないかと。もしそうだとしたら恐ろしいことだなと思っているのです。

なぜならば、Add bookmark は心をもたない URL を登録するわけですから、気に入らなくなったらどんどん捨てていけばいい。URL は文句を言いません。しかし、Add friend で登録されるのは、生身の人間です。一旦、友達登録するところまではいい。しかし、bookmark と同じように、この人とはもうかかわりたくないからとの理由で、良心の呵責もなくほいほい友達解除することが普通になってしまうとしたら…。

これって危険なことではないでしょうか。

Facebook には良い点がたくさんあると思います。世界中の人々と知り合いになれる、自分の世界が広がり心が豊かになるなど、人間関係の広がりからくる恩恵は確かにあるのでしょう。

しかし、その反面、お手軽に「友達になる」という行為の裏には、非常に殺伐とした空気を生み出す危険性をはらんでいるような気がしてなりません。

例えば、Facebook の色んなページを閲覧していて、この人と友達になりたいとまで思わなくても、面白そうな人だと思う程度でも「友達になる」ボタンを押しさえすれば、お手軽に友達になれます。相手から拒否されることもあるでしょう。拒否されると最初はショックかも。しかし、人間って環境に順応しますから、「ここはそういうところなんだ」と思ってしまえば、拒否されることにも慣れてしまいます。

こうなると個人の bookmark 化が始まります。「友達解除されたって平気。ここでの人間関係は bookmark と同じだと思えば何ともない。だから私もいやなやつは友達解除しちゃう。」そんな人だって当然出てくるでしょう。

しかし、当然のことですがそんな簡単に事は進みません。私たちは心をもった人間なんですからね。

Facebook における人間関係のトラブルについては、皆さんもよく聞かれると思います。知らないうちに友達解除されて、ショックを受けた人の話とか、そのせいで心がすさんでしまったとか。さらには、友達解除されてそれが殺人事件に発展してしまった話(アメリカ)もあります。

このようにみてくると、「友達になる Add friend」という文言が、人としてのまっとうな神経を麻痺させるもののように思えてくるのです。

生身の人間を bookmark してしまうなんてあってはならないことですが、やっぱりそういうノリなのかなと思った出来事を体験をしました。それについて少しお話しします。

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Facebook に登録して間もなく、「知り合いかも?」の通知がきました。これは体験した方も多いかもしれませんね。私もこんなことがあるとは聞いていたのですが、自分は対象外だと思っていました。なぜならば、ごく親しい人以外には、Facebook への参加を知らせていなかったからです。

「知り合いかも?」の人は、10年以上前に退職した会社の同僚でした。何でこの人につながったんだろうと気味が悪くなりました。仲が良いというほどの人でもなく、記憶から遠ざかっていた人でした。あとで思い出したのですが、この人は私のメールアドレスをもっていたのです。こわいですねえ。アドレス帳をFacebook にインポートすれば、アドレス帳のメールアドレスと一致する人を Facebook が勝手に検索するんですね。頼みもしないのに。

私のところに「知り合いかも?」の通知が来たということは、この彼のところにも、私のことを「知り合いかも?」って通知がいくのかなあと思い、いやだなあと思いつつ、しばらくほっておきました。すると、案の定、その人からお友達の申請が来てしまいました。

10年以上も会っておらず、特に仲がよかったわけでもない私に、いきなり友達申請するというその神経は、私には理解できかねるものがありました。友達申請することに何も害はありません。しかし、私はその前にワンクッション入れてほしいと思うタイプなのです。この場合だったら、友達申請の前にメッセージを送るのが社会人としての礼儀だと、私は思ってしまうのです。

それにしても何故、私に友達申請してきたのだろうという気持ちが離れませんでした。これをどうすりゃいいの?ほっておいたらいつまでたっても「承認待ち」の印が自分のタイムラインに出っぱなしで落ち着きません。私の中ではこの彼と Facebook で友達関係を結びたいとは思っていませんでしたので、丁寧にお断りのメッセージを送ろうと思いました。それで、「承認待ち」の印のところにあったXマークを何気なく触ってしまったのです。

そしたらいきなり消えました。もうこのときは慌てふためきました。こんな時って「本当に拒否しますか?」とかなんとか確認メッセージがありそうなものです。この彼とはこれで終わりました。「承認待ち」が消えたことで安堵する一方、何の理由も告げることなく友達拒否してしまったたことで、自己嫌悪になりました。

ただ、たぶん、向こうは友達拒否されても何ともなかっただろうと思っています。というのも、この人には友達が670人いたのです。有名人でもないのに670人って一体…。

このとき私は思いました。「ああ、この彼にとって友達って bookmark なんだろうな」って。過去の知り合いをみつけては、あらゆる人に友達申請しているのではないかと推測します。

「飾りじゃないのよ。アタシは。」と言いたくなった。

この殺伐とした雰囲気が今の時代に合っているのかもしれませんし、合理的といえば合理的なのかもしれません。しかし、システムありきではないのではと思うのです。人の心があって、それを元にシステムが開発されるのであればよいことだと思うのですが、システムを先に作って、それに人の心を合わせさせようとしているのであれば問題かなと思います。

長くなりました。読んでくださった皆様に、私の意図がうまく伝わっているとよいのですが。

ではまた。001.gif
Commented by はちどり at 2016-03-04 08:48 x
いつも拝読しております。
はちどりと申します。
facebookのお話が興味深かったのでコメントします。

作った側の感覚は、「友人(欄)に追加する」という意図なのではないか、と思いました。
つまり、facebook画面の左側のメニューにある「友達」に「(facebook上に存在する友人の)アカウントデータ」を追加する。

友達、という言葉に対して人がもちうる感情を考えなければ、データを追加(Add friend)という感覚は問題ないと思います。でも人間だからそうはいかない。
データの背後(と言ってよいのか分かりませんが)の生身の人間がいるんですよね。

そういうことを考えると、SNSの日本語って難しいです。
ちなみにmixiは「マイミクに追加」となってます。
Commented by ladysatin at 2016-03-05 21:39
はちどりさん
初めまして。コメントをありがとうございます。

今回のトピックの内容は Facebook に登録して以来、ずっと気になっていたことでした。自分の思いは思いとして、皆様はどのようにお考えになるのだろうと思っていたので、コメントをいただけてとてもうれしいです。

mixi は「マイミクに追加」なんですね。人に対して「追加」という表現が、私には違和感があるのですが、利用されている方はそうでもないのでしょうか。

「友達になる」については、これまで考えていたことを書いてみたのですが、皆様のご意見をうかがって、私自身の考えをまた整理したいと思っております。
Commented by 似非無頼 at 2016-03-06 17:59 x
ご無沙汰しとります。
ソーシャルメディアなんてそんなモンだから余り深く考えないで。Take it easy.
... と言いたかったトコですが、僕もサテンさん側のタイプ。
やはり address する側の行儀が問われて然るべき。(無作為の営業電話にはいつも立腹します)
ただ「友達申請」の方が適当だと思う一方、その表現の堅苦しさを嫌って「友達になる」としたのかも知れません。
その手のサービスが普及した要因の一つであろうカジュアルさとも関係するでしょうか。
それからボタンにそう表記されている限り利用者は、仮に本人が不躾だと感じたとしても、それを使わざるをえない。
言葉の正しさを言い出せば例えばツイッターなるサービスそのものに「ワシゃ鳥か!」とツッコむ事も出来ます。
因に「Facebook をやっている」については僕の語感では何の違和感もありません。(僕は両方やってません)
んー、やっぱ
Take it easy, lady!
Commented by ladysatin at 2016-03-07 00:10
似非無頼さん
お久しぶりです。コメントをありがとうございます。

言葉を扱う仕事をしていると、これはどうかなと思うような言葉に出くわすことが多いです。
私は特にそうみたい。ささっとスルーしてもよさそうなものなのですが。

「友達申請する」は確かに固いですね。「申請」という漢字が改まった印象を与えてしまいます。
「友達になる」だと、気楽にお友達になりましょうというイメージですよね。

「Facebook をやっている」は違和感ないですか。
私も Twitter はやってません。(←あ、自分でも使ってますね。)

やっぱり Take it easy. がいいかな。σ(^_^;)
Thank you for your encouragement.
Commented by ファイト at 2016-03-14 22:39 x
こんばんは。そーゆー所にひっかかるなんて職業病ですな。(笑)
ま、言葉ってゆーのは生き物みたいなもので進化、または退化するからね。どこかのメディアが間違って使ったものが主流になってしまったり、間違って使われている言葉を正したり。
「ガッツリ」は深夜ラジオで「ガッチリ」をいい間違えた山田ひさしの言葉。10年位前かなぁ?リアルタイムで聞いてました。「ガッツリの方がいいね!」と、番組の中で使っていたらごらんのとおり。
正そうとしてる言葉としては「~するそうです」を「~するそう」がある。とくにTVのナレーションで聞きます。
これら言葉は会話(音の中)に感情を入れる事ができるので相手に気持ちが伝わりやすい。しかし文字となると難しい。だから絵文字や(笑)といったものが出現したんでしょうね。進化、退化がなかったら未だに「~でござる」なんて言ってたのかなぁ~?そんなの拙者ごめんでござるよ。
ところで❗Facebookはやっていません(笑)
あまり気にしなくていいと思うよ。友達申請却下。
馴れないタブレットでの投稿なので疲れてきた。これにて御免でござる

Commented by ladysatin at 2016-03-15 15:15
ファイトさん
お久しぶりです。何となくファイトさんが来る気配を感じてました。ホントに。
うれしいです~♪

やっぱり職業病なんですよね。ちょっとした言葉に敏感に反応してしまうのです。

Facebook ってハーバード大学出身のお利口な人達が作ったものだときいていますが、ちょっと私、モノ申したい気分です。頭の回転は速いのでしょうが、人間に対する勉強はちょっとお粗末だなあと。あっ、こんなこと書いていいのかしら。ええっと、Facebook の続きは、また別の機会に書きたいと思います。(=^‥^A アセアセ・・・

「ガッツリ」の語源は「ガッチリ」の言い間違えからだったんですね。知りませんでした。私も「ガッツリ」は使うことがあります。色んなシチュエーションで使えて便利ですね。

ところで合格発表のシーズンですね。チーちゃんは志望校に合格したのでしょうか。
ファイトさんのキットカットが功を奏したんじゃないかと期待しています。^^
Commented by ファイト at 2016-03-15 19:19 x
チーちゃん一発合格でした!広島大学教育学部です。すごいよね~。塾に行かずして合格。本当に実力だね。気にしてくれてありがとうございます♪お祝いに洋服と焼き肉で俺の財布は真冬に戻ってしまいました。なんたって弟とお母さんも一緒だったからね。(笑) お母さんなんて「これ半額よ」と持ってくるし。

俺の気配を感じ取るなんて…や~ねぇ~
Commented by ファイト at 2016-03-15 19:58 x
あーテステス。さっきコメント投稿したら、非公開コメントになってた。何で?と思えばこんなところにチェックボックスがあるじゃない。きっと指があたってチェックが入ったのね。小指は立ててたのに。特に隠すような恥ずかしい内容ではないんだけど、と言って他のLadyファンにお知らせする様な内容がある訳でもない。オッサンのコメント読んでも何も得しないけど。ただね、本意ではない結果が気になる48歳なんだよ。俺は。(6月で49歳よ) だってだって、「こいつ非公開コメントでLady さんを口説いてる!」なんて思われたらイヤじゃん♪恥ずかしいー! あ~穴があったら掘りたい。ブラジルまで掘りたいね。俺は掘る! と、あることないことを想像しても実は誰も気にしてないんだよね。やぁ~ねぇ~
Commented by ladysatin at 2016-03-16 14:43
チーちゃん合格おめでとうございます♪
教育学部だったら将来、学校の先生になられるのでしょうか。
合格祝いまでやってあげるなんて、ファイトさんって太っ腹~。
さすがですね。

テステスって何だろうと思っていたんですけど、あ~テストのこと?
いつも面白いファイトさん、結構気が小さいんですね。
結果が気になる48歳。かわいいですよ。
ファイトさんのコメントはいつでも大歓迎です。(^▽^)/
Commented by ファイト at 2016-03-17 15:14 x
ど~もすみません(先代の林家三平風)
Commented by ladysatin at 2016-03-19 00:41
ど~いたしまして。(^○^)
Commented by marcy at 2016-03-23 02:25 x
うん、SNSのこの手の話題ってよくありますよね。
ポイントは人間のコミュニケーション感覚とコンピュータのインターフェイスデザインの間にはまだまだ課題が多いってコトではないでしょうか。

現実であれば「お友達になって」とか「オレタチ、友達だよね?」とか言われる事はあんまり無さそうです。暗黙の了解と言うか(笑、そうゆう確認作業は特におくゆかしい日本人には特に馴染まないように思います。逆に現実にそう言われる場合、返事に困るシーンでは無いでしょうか?一方、作り手側の合理性を優先するITネオ人種は古風な奥ゆかしさより実利を選択しがちに思います。

お互いの関係をステップアップさせる場合、どうゆうインターフェイスデザイやシステムデザインにするか。
どうゆう意図でこの機能と名称を選択したのか、おそらくはLadysatinさんが言われる課題について議論もあったと想像しますが、彼らの目的はユーザー拡大なので、結局はトレードオフで機能優先側が勝利したんでしょうと想像します^^。

英語圏でも同様の話題があるようなので、ここでテーマにしている言語の課題に加え、文化的課題などもあるように思います。
また、ITなど存在しない昔から外交プロトコルなどがあるわけですから、昔からコミュニケーションには課題が多かったんじゃないでしょうか。

この話題が原因で全体のユーザー数が減少するのであれば、彼らも何か対策を講じると思われます、飽きたなどの他の原因での減少はあるでしょうが、今のところこれが原因での減少は無いようです。そうであれば、実際、ユーザーが不愉快な思いをしていてもしばらくはこのままなんでしょうね^^。
もしかすると、こうゆう話題性も折込済みでこうゆう機能と名称を選択しているのかもしれませんね^^。

どなたかが言っていますが、そう、take it easy、ネットサービスなんてこの程度と思って使えるとこだけ楽しく使ったほうが良いのかもしれませんね。

marcy
Commented by ladysatin at 2016-03-24 01:47
marcy さん
お久しぶりです。コメントをありがとうございます。

「人間のコミュニケーション感覚とコンピュータのインターフェイスデザインの間にはまだまだ課題が多い」
本当にその通りだと思います。私が言いたかったことをまとめてくださいました。

Facebook のユーザーって増え続けていると思うのですが、やはり若い人が中心だと思うのです。同じ日本人でも、年配の人と若い人の感覚ってかなり違うように思います。年齢が若くなるにつれ、IT に慣れ親しんでいる人も多いと思うので、ドライな人間関係が普通のことになっていってるような気がします。もちろん個人的な意見なのですけれどね。

私が危惧しているのは、ボタン一つで友達になったり、友達を解除するということが、事務処理のようになっていくことなんです。本来は「心」が介在すべきデリケートな問題であるのに、これが日常化してしまうと、頭が麻痺してしまいそう。そうなったらこわいなあって思います。

こういった SNS のシステムが、知らないうちに「人としての思いやりの大切さ」を忘れさせるように働いているのではないかと思ったりもします。考えすぎでしょうか。σ(^_^;)
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by ladysatin | 2016-03-03 00:16 | 英語と私といろいろ | Comments(13)