少し前ですが 一翻訳者としての思い という記事の中で、「翻訳は英作文ではない」という私見を述べました。

日本語から英語に訳すにあたり、英作でなく翻訳をするということはどういうことなのでしょう。

今日は、過去にあった一例を取り上げてみたいと思います。

※ここから書く内容は、プロの翻訳者の方には特に目新しいことではないかもしれません。
 翻訳者ではないが翻訳に興味のある方、これから日英翻訳者を目指す方の参考になればと思い書きます。

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数年前の取引先からの依頼でした。当時、あるメーカーが浄水器の英文パンフレットを作成していたところ、そこに英文を一文だけ追加することになり、それを訳してほしいとのことでした。

その取説に載せる文言とは以下です。

<日本語>
NSF認証は米国の国家規格として採用され世界中に認知されています。


いきなりこれだけ。この時は途中経過のパンフレットの原稿をもらうことができなかったので、挿入箇所もわかりませんでした。よくあることですが、何の文脈もわからず、この日本語を英訳してほしいという依頼がよくきます。

ではここで、英文を作ってみたいと思います。直訳でそれなりの体裁を保った英文を作ることができます。

<試訳>
The NSF certification has been adopted as a national standard of the U.S. and is recognized all over the world.


実はこの英訳は私のものではなく、当時の同僚で翻訳者志望の人が書いたものです。その人の英訳はいつも私がチェックすることになっていて、この英文も私のところに回ってきたものです。

さて、この英文は元の日本語を適切に訳せているのでしょうか。

「認証」を certification とし、「採用され」を has been adopted で表現しています。「認知されています」は is recognized です。文法も時制も正しく書かれています。英文としては何らおかしいところはありません。英作文としては100点だと思います。

しかし、翻訳としてはどうでしょうか。

実は私、この時点では、良いのか悪いのか評価ができませんでした。というのも気になることが2つあったからです。

その2つとは以下です。英文を作った人に聞きました。
①仕向け地(製品が輸出される国)はどこですか?
②NSF 認証について調べましたか?


するとその人から①については「知りません」、②については「調べていません」という答えが返ってきました。私は「英文としては正しく書かれているけれども、①と②を調べて、これで間違いないと思った訳を書いてくれないか」と言いました。その人は私の言葉に困惑したようです。「英文が正しければそれでいいのでは」と思ったんですね。その気持ちはわからないでもありません。

ではここから具体的に切り込んでいきます。

①仕向け地(製品が輸出される国)はどこですか?
私がこれを聞いた理由は、英文の中に recognized という表現があったからです。通常、学校英語ではアメリカ英語を学びます。だから recognized はアメリカ英語のスペルとしては正しいのですが、イギリス英語は recognize でなく recognise と綴るのが普通なんですね。

このパンフレットが北米向けなら recognized で結構です。しかし欧州向けなら recognised にすべきです。案の定、調べたら欧州向けのパンフレットでした。ちょっとしたことですが、かなり大切なことです。ここは確認を怠った翻訳者のミスになります。

以前の記事でも書きましたが、翻訳にはお客様がいます。きれいな英文をささっと書いて終わるのは、ただの自己満足の英作文です。この英文を書いた人には、翻訳を読むお客様は誰なのかについての視点が欠如していたものといえます。

②NSF 認証について調べましたか?
NSF はおそらく何かの認証機関なのかなと想像がつきますが、実際に何を認証するところなのかを調べる必要があります。工作機械や電子機器の安全性を認証する規格としては、CSA やUL などが私の分野にはよくでてきます。今回の NSF は、英訳した人にとっても私にとっても初めて聞く認証機関でした。自分の知らないことを翻訳しなくてはならない場合は、出来る限り調べることを私はお勧めしています。NSF certification は一般的な訳語としては使えますが、さらに調べることで、より適した表現に出会えるかもしれません。あとで書きますが、今回もそうでした。

まず、NSF をインターネットで調べてみました。すると、NSFとは公衆衛生に関連した製品やシステムの規格開発・認証機関であるNSF (National Sanitation Foundation) International のことだとわかりました。NSF 認証は浄水器の世界基準であり、厳しい審査を通過した製品に与えられる認証なのです。

NSF が何かわかったので、上の日本文の言いたいことがわかりました。この浄水器は NSF 認証を取得していることが一つの売り文句なのでしょう。でも NSF 認証がどんなものなのか一般のユーザーにはわからないので、立派な機関のお墨付きであることを、この文を入れてユーザーに知らせたいのだろうと推測できます。

文章が長くなりましたので、もう一度日本語と試訳を書きます。

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<日本語>
NSF認証は米国の国家規格として採用され世界中に認知されています。

<試訳>
The NSF certification has been adopted as a national standard of the U.S. and is recognized all over the world.

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前半は、「NSF認証は米国の国家規格として採用され」に対し、"The NSF certification has been adopted as a national standard of the U.S."という直訳がついています。この箇所は致命的なミスはないので、これをそのまま使うという選択肢がひとつあります。

しかし、私にはこの英語がとても冗長に感じられました。日本語では「採用され」とありますが、そもそも言いたいことは何かというと、「NSF認証は米国の国家規格である」ということです。とすれば、もっと簡潔に書けます。また The NSF certification は、定冠詞のないケースがほとんどのようです。これらを考慮すると、以下のように書けます。

<修正前>
The NSF certification has been adopted as a national standard of the U.S. (13 words)

<修正後1回目>
NSF certification is a national standard of the U.S. (9 words)


13 words から 9 words に節約できました。

ここからさらに調べていきます。すると NSF/ANSI standards という正式な言い方があることを発見しました。ANSI は American National Standards Institute の略です。NSF は ANSI に認可された機関なのです。NSF certification という言い方も多く見つかりましたが、ここはプロフェッショナルな言い方として、NSF/ANSI standards を使いたいです。standards が複数なのは、standard すなわち「規格」が複数あるからなんですね。

さらに、American National Standards とあるので、a national standard of the U.S. という言い方もこれに変えたほうがいいです。では NSF/ANSI standards を主語にして書きます。

<修正後2回目>
NSF/ANSI standards are American National Standards (6 words)


さらに 6 words に削減できました。

今の世の中、インターネットを利用すれば解決できないことはない、とまでは言えなくとも、実に正確な情報を手に入れることができることがわかります。

さて、ここからまとめていきます。

日本文には「世界中に」という文言がありました。最初の訳では all over the world と訳されていました。ここはすっきりと、worldwide と一語で書けます。それに recognised とイギリス英語のスペルにして完成させます。どのようになったでしょうか。

<試訳>
The NSF certification has been adopted as a national standard of the U.S. and is recognized all over the world. (20 words)
 ↓↓↓
<最終訳>
NSF/ANSI standards are American National Standards, and are recognised worldwide. (10 words)


何と、最終訳では語数が半分(20 words → 10 words)になりました。この訳文をお客様に納品しました。

ここまで読んだ方の中で、「standards は「認証」ではなくて「規格・基準」だから間違いだ」、また「日本語の「採用され」が訳されていないから間違いだ」という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それは英作文として見た場合のことです。大学入試であれば点数をもらえないですよね。

私は、翻訳は元の日本語を一字一句訳する作業ではないと考えています。原文の本質を、明瞭にかつ簡潔に、別の言語で表現する作業、それが翻訳だと思っています。少なくとも私が携わっている技術翻訳においては重視すべき点だと考えます。もちろん、直訳以外に選択の余地がない場合も多くあります。しかし、直訳に甘んじてしまうと、翻訳者としての成長はそこで止まってしまうような気がします。

もっと良い言い方はないか、もっと簡潔に書けないかと常に考えつつ、翻訳の仕事を続けていきたいです。
そうすることで、もっと自分が翻訳者として成長できると信じて。

終わり 001.gif
by ladysatin | 2017-03-14 00:43 | 日英 Translation | Comments(4)