experience に関する一考察

以前、同格の that 節がとれない名詞についての考察 という記事を書きました。


この記事で私は、「case がなぜ同格の that 節をとれないのか」について考察しました。


今日は、もうひとつ、experience が同格の that 節をとれないのはなぜなのか」について、考えてみたいと思います。

これは、私にとって長年の疑問なのですが、なぜダメなのかを解説してある文献が、全くありません。


experience は同格の that 節をとれないのだと、機械的に覚えるのもよいと思います。しかし、ダメには何か理由があるはず。そう思うとやはり追求したくなります。

私は一技術翻訳者にすぎないので、この記事でその答えを解明するまでには至らないかもしれません。しかし、考える価値のある問題だと思います。何故ならば「experience + that 節」の誤用は至る所で見るからです。それほど違和感なく使われている(特に日本人の英語学習者の間で)といってよい思います。


この記事は、experience が同格の that 節をとれないのはこの理由ではないかと、私個人が考察した内容を記述するものです。皆様にも考えていただければ幸いです。


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同格について(ロイヤル英文法 P130 より引用)

名詞または名詞相当語句をほかの名詞または名詞相当語句と並べて補足的説明を加えることがある。この関係を同格と呼ぶ。(引用ここまで)

では、ここから具体的な英文を作ってみます。

「私は英語を5年間教えた経験がある。」を英文にします。
I have the experience of teaching English for five years. – 正 〇
I have the experience that I taught English for five years. – 誤 ×

が正しくは間違いです。
...をした経験がある」というときは experience of 動名詞 の形にしなくてはなりません。
しかし、
のようにexperience + that 節」の誤用は、実際多く見受けられます。

同格の that 節の用法とは、「先行する名詞の内容を、それに続く that 節が説明する」というものです。したがって、
が成立するには、the experience の内容を that 節が説明している必要があります。

そこで、私はこう考えてみました。

<②がダメなのは、the experience の内容を that 節が説明していないからだろう。これを証明できれば、 experience が that 節を従えることができない理由が導き出せるのではないか。>

そこで、experience の定義を、英英辞書で調べました。
そしたらちょっと面白いことがわかりました。

experience
には様々な用例がありますが、以下は、
の英文に当てはまると思われる説明文です。
いずれも不可算名詞 [uncountable] の用法です。

●Longman
の記載
experience: knowledge or skill that you gain from doing a job or activity, or the process of doing this
仕事や活動、またはこれを行なう過程から得る知識や技能

e.g.) You’ve got a lot of experience of lecturing.
e.g.) He had no
previous experience of managing a farm.

●Merriam-Webster
の記載
experience: skill or knowledge that you get by doing something
何かを行なうことで得る技能や知識

e.g.) She gained/acquired a lot of experience at that job.

●Collins COBUILD の記載
Experience is
knowledge or skill in a particular job or activity, which you have gained because you have done that job or activity for a long time.
experience
とは、ある特定の仕事や活動の中で、それらを長期間行ったがゆえに得た知識や技能のことである。


e.g.) He has also had managerial experience on every level.

以上が、辞書の定義です。

072.gifこれらを見て、英英辞典の記載に共通点があることがわかりました。

それは、experience
とは knowledge(知識)でありskill(技能)だということです。
しかも、gainする(得る)ものだということなのです。

experience
は日本語で「経験」と訳されますが、私達が「経験」というとき、「過去に自分がしたこと」と捉えがちではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。しかし、今考えると、それは私が浅はかだったというより他はありません。なぜなら、日本語の「経験」にも「知識や技能」が意味として含まれているからです。

●広辞苑における「経験」の定義の一つにこう書かれています。
「何事かに直接にぶつかり、そこから技能・知識を得ること」

このように、英語の experience に対し、日本語の「経験」を訳語にあてることは全く正しいことがわかります。

そして、ここまで見てきてようやく私は思いました。
experience
は同格の that 節をとることはできないであろうと。

なぜならば、experience の中身を that 節で説明などしていないからです。
もう一度、
の文を見てみましょう。
I have the experience of teaching English for five years.

この文は「私は英語を5年間教えた経験がある。」と訳してかまいませんよね。

しかし、この文がもつ本来の意味は、「私は、5年間英語を教えたことから得た知識や技能をもっています。」ということです。これは、上の辞書の定義からも明らかであろうと思います。

つまり、ここで使われている the experience とは、「得たもの」すなわち「成果物」というとらえ方ができるのではないでしょうか。5年間英語を教えたことを通して、the experience が生じたということです。だから、同格になりようがないのではないかと、私は思うに至りました。

違う視点から見てみます。
以下は、同格の that 節を使った典型的な文です。

I was surprised at the news that she won the game.
彼女が試合に勝ったという知らせを聞いて驚いた。

that 以下(彼女が試合に勝った)は、 the news(知らせ)の内容を具体的に説明しています。

一方、
の文をもう一度見てみます。
I have the experience that I taught English for five years.

②の文は、that 以下は the experience を説明していません。that 以下は the experience を得るために行った内容です。つまり the experience をもたらした要素と考えることができると思います。だから、同格とみなすことはできない。故に、同格の that 節を使うわけにはいかないということではないかと、私は思うに至ったのです。

皆様はいかが思われるでしょうか。

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最後に、このサイトの記述を取り上げたいと思います。

→ http://www.ravco.jp/cat/view.php?cat_id=5022


(ここから引用)

○ Tom had the sad experience of losing her wife.
× Tom had the sad experience that he lost her wife.


同格の of は、「行為」「経験」「習慣」等の意味を表すような名詞の説明によく使われます。一方、同格のthat 節は、「伝達」「考え」「認識」の意味を表すような名詞の説明によく使われます(名詞節の同格の項を参照)。上記の experience 以外にも、下記の名詞は、同格のof を使用し、that 節は原則的に使用しません。(引用ここまで)

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このサイトによると experience は 同格の of を使い、同格の that 節は使わないと書かれています。しかし、私はこの記載には納得できないでいます。というのは、ここの記載は明らかに、「experience of 動名詞」を同格表現として説明しているからです。一方私は、experience は「of 動名詞」を要素とする成果物だと考え、同格表現とはとらえていません。理由は上に述べた通りです。


このように、この of は同格の of ではなく、[材料・構成要素]を表す of と考えるのが妥当ではないかと、私は思いました。


●ジーニアス英和大辞典で of を引くと、9a にあります。

[材料・構成要素] …で作った、・・・から成る

これに当てはめて考えると、①は「英語を5年間教えたことで出来上がった experience」のような感じです。


以上、experience について考察しました。


ご感想やご意見がありましたら、コメント欄にお願いいたします。075.gif



by ladysatin | 2017-01-29 16:22 | 英文法_English Grammar | Comments(10)

一翻訳者としての思い

このブログを開始して4年近くになります。ブログを通じて自分自身が成長したと感じることが、たくさんありました。その多くは、コメントを下さる皆さんとのやりとりがあったからだと思っています。人々との交流の中で、自分自身を振り返ることが出来たことは、私にとって大きな収穫でした。

反対に、嫌がらせや皮肉を帯びたコメントは不快感しかなく削除したくなりますが、それに対し毅然とした態度で臨むことを、敢えて選択することも大切だと思っています。

今日は、最近あった出来事から考えたことを書きたいと思います。

★翻訳って何なのでしょう。日英翻訳って英作文ですか?

昨年の12月、ある人物(以下H氏)が私のブログに乱入してきました。

それは私にとって、聖域に土足で踏み込まれたのも同然のもので、実に不快なものでした。不快だと感じたのは、H氏の人を見下した書き方によるものです。この人物は私のブログに興味をもったらしく、4つの記事に続けてコメントを書いてこられました。そのすべてが尊大で、どれも私に教え諭すような上から目線のコメントでした。その後、この人は墓穴を掘ることになりますが、この人物ほど人を小馬鹿にしたコメントを書いてきた人はいませんでした。

根拠のない自信とは恐ろしいものです。

この時点でH氏を受信拒否にすることもできました。しかし、洋楽の記事2つについては、H氏の意見は正しいと思いました。これを認めないことは、私自身の汚点になってしまいます。この人のコメントの不快さは切り離し、主張の中身が正しいと思ったものについては、その正しさを認めました。そして、指摘されたことに対して感謝の意を述べました。

H氏は、私の翻訳に関する記事にもコメントを書かれました。しかし、これについては到底同意できるものではなく、その旨を返信しました。

それがこの記事です。H氏へ4回に渡り返信しています。ここに私の翻訳に対する考え方が凝縮されています。
お客様のための翻訳

この記事には、まずM氏がコメントをされています。M氏は技術者としての立場から、私の考え方に疑問をもたれました。私とは意見を異にしていたものの、良識あるM氏のコメントは参考になるものでした。

その次にコメントされたのがH氏です。この人物の尊大な物言いについては、その他の3記事へのコメントでわかっていましたが、今回は私の職業である翻訳者としての誇りを、いとも簡単に踏みにじるものでした。

それが説得力のある内容であれば、部分的にでも賛同したでしょう。しかし、H氏のコメントは、翻訳者としての幼稚さを露呈したものでした。プロの翻訳者といっても様々なレベルの人がいます。H氏のレベルは及第点に達していないと言わざるをえないものでした。

その根拠は、この人物が「翻訳=英作文」と考えていたのが明白だったからです。

H氏は、私の訳に「無理に」が欠落していることに目を付け、鬼の首をとったかのようなコメントを残しています。

確かに、高校入試か大学入試の英作文であれば、私の英文はバツになります。しかし、私がやっているのは翻訳であって、英作文ではありません。H氏は英作文と翻訳を同じと考えているので、全く私と話が噛み合っていないことが、記事のやりとりでおわかりいただけると思います。

★翻訳と英作文の違いは何でしょう?

それは、翻訳にはお客様がいるということです。英作文にはお客様はいません。これが違いです。

★では、翻訳者のお客様は誰ですか?

仕事をくれる業者でしょうか。違います。お客様とは必要があって訳文を読む人です。

プロの翻訳者であっても、この点をはき違える人がいます。仕事をくれるクライアントがお客様だと思ってしまう人が多いのです。その理由は簡単です。翻訳者は翻訳を読む人との接点がないからです。

一方、通訳者はお客様が誰であるかを間違うことがありません。通訳者は現場に行き、通訳を聞く人々、すなわちお客様と至近距離で接します。故に、通訳者の目は、常にお客様に注がれます。通訳をしているときに、仕事をくれた業者のことを考えるでしょうか。自分の通訳が、きちんと通訳を聞く対象者(=お客様)に伝わるようにと考えて、全力で訳をしているはずです。

翻訳も同じことです。訳文を読む人は海外にいることが多いでしょう。目に見えません。しかし、その人々が真のお客様なのだということを、常に認識しておかなくてはならないと思います。

私は主に取説の翻訳に携わっています。製品の取説を読むのは、ユーザーです。英語圏のユーザーに製品を正しく使っていただけるように翻訳をしています。翻訳元の文章がわかりにくい場合は、その文章を咀嚼し、ライターの意図が伝わる英文にして納品しています。

こんなことを言うと、こう返す人がいます。

「翻訳者は原文の通りに訳せばいいのであって、英語圏のユーザーがその訳文がわかりにくいと感じたとしたら、それは原文を正しく訳した翻訳者のせいではなく、原文を書いた原作者、つまりライターの質が悪いのである。その原文を翻訳者がいじるべきではない。」と。

この理屈は一見、正しそうに見えます。ライターにはライターの仕事があり、翻訳者には翻訳者の仕事があります。しかし、その考え方が一般的な翻訳者の常識としてあるのであれば、その翻訳者の方々は将来的に職を失うことになるかもしれません。何故ならば、機械翻訳の精度が上がっているからです。ただ字面を追いかけて、個々の単語が網羅されている英作文レベルの翻訳であれば、機械翻訳がやってくれる時代が近いうちに来るだろうと考えておいた方がよいと思います。

私はここで、プロの翻訳者が生き残る道について議論するつもりはありません。しかし、プロの翻訳者であれば、機械翻訳と同レベルでよいわけがありません。プロの翻訳者は生身の人間です。人間は考える力が無限にあります。そして、機械翻訳にはできないが、翻訳者にできることはたくさんあります。

★そもそも何のために翻訳しているのでしょう?

全てはお客様のためです。

そして、お客様のために仕事をしているのは翻訳者だけではありません。翻訳の元となる原文を書くライターもそうです。つまり、ライターも翻訳者も共通の目的をもって仕事をしているのです。

共通の目的とは、「お客様にわかりやすい取説をお届けする」ということです。そう考えたときに、ライターと翻訳者の仕事に垣根を作ってしまうことに意味があるのかと思えてきます。もっとお互いがお互いの仕事に介入してもよいのではないかと、私は思っています。

一言でいえば、「チームで働く」ということです。フリーランスの翻訳者の場合、現実的には、特定のチームを作ってライターと組むことは難しいかもしれません。しかし、「我々は同じ目的をもったチームである」という意識があると、良いモノづくりへの思考から行動に差が出てきます。

例えば、私が関わる取説は、必ずしもプロのテクニカルライターが書いているとは限りません。製品を作る技術者が書く場合も多いです。そういう方の書く日本語は、ご自身の視点から書くので、本人は全部わかっているのでしょうが、第三者が読んだときに何を言いたいのかわからない文が多いです。それを翻訳しなくてはならないときに、翻訳者がとる行動は2つ考えられるでしょう。

①なんて悪文なんだ。とりあえず直訳してしのいでおこう。直訳なら言い訳ができる。
②わかりにくい文だが、恐らくこういう意味だろう。申し送りをつけて納品しよう。

どちらが優れた対応でしょうか。言うまでもなく②ですね。

①の翻訳者には「お客様(ユーザー)」の姿は一切見えていません。②の翻訳者には見えています。申し送りをつけることで、依頼主はそれを元に原文を書いた人に確認するでしょう。しかし、②の翻訳者の解釈が間違っている場合もあります。その時は、書き直せばよいのです。この手間を一つかけるかかけないかで、結果は大きく変わります。お客様へのメリットはもちろんのこと、②の翻訳者への評価も上がるでしょう。

「原文の質が悪いからこの程度の翻訳しかできないのだ」という言い訳は、「私は与えられた文章しか訳しません」と言っているのと同じです。しかし、それは機械翻訳なら許せても、プロの翻訳者が言ってはならないのではないかと、私は思っています。

私は翻訳者として仕事をいただいていますが、気持ちは常に「チームの一員」です。私が訳した取説を手にしたお客様が「わかりにくい」と感じたら、その製品を使いたくなくなるでしょう。そうであってはなりません。翻訳が海を超え、外国にいるお客様にわかりやすいと感じていただけるように、そしてさらには、その製品を作っている会社の利益になるように、取説を書くライター、そして翻訳者である私は、共通の目的をもって動いています。

★翻訳は英作文ではありません。翻訳とは、書いた人が言いたいことを別の言語で表現することです。

私はそう思いつつ、日々、仕事に励んでいます。

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H氏の乱入は、私にとっては事件でした。プロの翻訳者であるにもかかわらず、言葉の使い方を知らない人がいることに驚きました。「文章には非常に強いコダワリがあります」と明言しながら、書く文章全てに渡り、小学生でも知っている「句点」がありませんでした。この時点で、この人の翻訳者としての資質に疑問を感じます。さらにH氏は、人を批判することに終始するだけで、「私ならこう訳する」という代替案を提示することさえ最後までありませんでした。

挨拶も何もなく人のブログを読み散らかしては、ここは突っ込めると思ったところに好き勝手にコメントをする。それはいかに自分が優れているかとのうぬぼれからくるものでしょうが、教養ある人のすることではありません。

しかし、私が詳細に反論をしていくうちに、この人は自分の過ちに気付いたと思います。最初の方は本当に馬鹿にした書き方をしていましたが、次第に言葉のトーンが変わってきたようです。結局、H氏は言い訳をつけて退散しました。私はこの人を今でも受信拒否にしていませんが、もうコメントを書きにこられることはないでしょう。

H氏の件がきっかけとなり、自分の翻訳者としての考えを今一度整理し、ここに記事として書くことは、このブログを継続していく上で、私にとって重要な意味をもちます。読者の皆様にも、一翻訳者としての私の思いを少しでも共有していただけたのであればうれしく思います。

最後に…

私にはいつも思っていることがあります。問題の記事の最後のコメントバックとして、私がH氏に宛てて書いた内容をここに転記し、本記事を終わることといたします。

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私のブログには毎日1000人を超す人が訪問されます。アクセス数ではなくて頭数です。その中には、プロの翻訳者もいれば、高校の英語教諭の方もおられます。さらには会議通訳者や同時通訳者の方もいらっしゃいます。私はそのような人々に接し、常々思っていることがあります。

それは、一流の人々は謙虚だということです。一流の人々は、他人から学びます。それは向上心からくるものでしょう。他人から学ぶことを恥ずかしいと思っていません。だから一流になるのです。私もそのような人々を目指していきたいと思っています。

つまらないプライドを捨て、他人から学ぶということ。自分の間違いを素直に認めること。それが当たり前にできる人こそが尊敬されるのです。
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終わり
by ladysatin | 2017-01-12 16:35 | 英語と私といろいろ | Comments(19)