エイドリアン・ヴァンデンバーグのインタビューの日本語訳(Part 1)です。

Vandenberg's Moonkings で活動をし始めて、たくさんインタビューを受けてらっしゃるんですけど、日本語に訳されたものは今のところないみたい。だから、日本の Adrian のファンの皆様に読んでいただけるとうれしいなって思っています。

そうそう、これ最近知ったんですけど、去年 Adrian は、Vandenberg の元メンバー2人に訴えられていたらしいんです。その内容を聞いて絶句したわ。

その仰天の内容とは…

Vandenberg という名前をつこたらあかんと。

はあ?Vandenberg って Adrian の本名なんですけど~。

訴えた元メンバーは一体何を考えたんでしょう。だってどう考えてもありえへんわ~。Vandenberg の曲はすべて Adrian が作ってるのよ。さらに、訴えた人の中には解散する前に解雇されたボーカルの人まで入っているというじゃありませんか。

結果は当然のことながら Adrian が勝つわけだけど、どういうロジックでこんなことを考えるのか理解不能です。訴えた人達は Adrian にお世話になったんちゃうの?Adrian はご自身の facebook で、この人達を友達だと思っていたからとても悲しい状況だと書いてらっしゃったわ。最終的には堂々と Vandenberg's Moonkings という名前で活動できてよかったです。いろいろ大変やったんですね、エイドリアン。...サテンは何もお手伝いできずすみません。

さてインタビューなんですけど、これ今年のフランスの音楽番組に Adrian が出演したときのものなのです。だからインタビュアーがフランス語で質問してます。で、何でフランスの番組なのってことなんですけど、英語圏で受けたインタもあったのですが、フランスのやつが一番内容がよかったからなんです。インタビュアーの女性も上手です。

Adrian が本格的にインタビューに答えている のを見るのは初めてです♪

インタビューの印象ですが、Adrian は私が思った通り素敵な方でした~。昔から優しそうな人だなあと思っていたけど、本当に話し方が優しいわ。人柄ってやっぱり顔に出るのね。終始にこやか。ロックミュージシャンにありがちな、ルーズで粗野な部分は全くありません。やっぱり芸術家という感じがします。知的でユーモアもあって、もぉますます好きになりました~。Donington のコンサートから24年経ってしまいましたが、相変わらず足は長いし、お年を召されても素敵な Adrian。これからも応援させていただきます。

私の日本語訳は、このインタビューの半分くらいを抜粋したものです。フランス語は全くわかりまへんので、フランス語のインタビュアーに対して英語で答える Adrian の話す内容を聞いて、質問を推理して見出しをつけています。
あ~ややこしい。(´-`)

特におもしろかったのは13分頃からの Whitesnake に入ったいきさつについてしゃべっているところ。カバが「愚かなオランダ人」と言うところを Adrian がユーモアたっぷりに話すので、それを聞いているインタビュアーの女性がめっちゃ喜んでます。^^「お願いだから Whitesnake に入って」のところもおもしろいんですよ。あと Steve Vai のことや Manic Eden について話すのも初めてじゃないかしら。

あ、Adrian はオランダの人なので英語は第2外国語だと思うんですけど、ほとんどネィティブと同じです。

ではでは、ムッシュゥ・アドリア~ノ・ヴァンデンバーグのインタビューです。



見出しのところに訳の該当箇所の開始時間を入れていますので、よかったら映像で見てくださいね。

★少年時代の夢は何でしたか? (1:40)
★音楽と美術の違いって何でしょう? (5:20)
★長く音楽から離れていたのはなぜですか? (7:00)
★Vandenberg's Moonkings でやりたい音楽って何ですか? (9:30)
★Whitesnake 参加のいきさつについて教えてください。 (13:00)
★Steve Vai との仕事はどうでしたか? (17:00)
★David Coverdale が Moonkings のアルバムに参加したいきさつは? (20:00)
★Manic Eden のことを教えてください。 (25:00)
★Moonkings の結成のいきさつについて教えてください。 (27:50)
★影響を受けたギタリストは誰ですか? (45:50)


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Adrian Vandenberg interview excerpts

★Adrian は長く音楽から離れていたのでレジェンドと言っている人もいますね。 (0:50)
う~ん、それは意識していなかったよ。だって自分ではそんな風に思ってないから。僕は、基本的に自分が一番やりたいことができるという良い状況にいるよ。ギターをプレイできるっていいことだよ。僕がやることを皆気に入ってるしね。僕は自分のことをレジェンドってタイプだと思ってはいないよ。(笑)

★少年時代の夢は何でしたか? (1:40)
混沌としていたよ。基本的に自分がやりたいことをやってきたわけだけど、ミュージシャンとして生計を立てるという幻想はもってなかったんだ。だから最初は画家になることを目指していて、オランダの美術大学に行ったんだよ。父がお前には音楽は無理だと言っていたし、オランダは小さな国だから僕がやりたい音楽ってあまり注目されなかったしね。僕が成長していく中で、父は音楽か美術かどちらかを勉強しろと言ったんだ。どっちをやるんだってね。僕は音楽学校かなと思ったんだ。音符が読めなかったからどうすればいいのかわからなかったけど。

で将来は先生になろうと思ったんだけど、先生になるなら音楽より美術の先生がいいかなと思った。というのも小さな子に音楽を教える忍耐力はないと思っていたからね。だから美術の先生になったら楽しいかなと。しかし、そうはならなかった。音楽活動がうまく行き始めて、4年くらい続けばと思っていたんだよね。それが継続できていることに驚いているよ。今もね。

(ここからフランス語の会話がしばらく続き、わけわかんね~状態がしばし続きました。)

★音楽と美術の違いって何でしょう? (5:20)
両方とも源は同じなんだ。表現スタイルが違うということだと思う。インスピレーションの源は同じなんだよ。絵を始めて美術大学に行ったんだけど、僕は細部にこだわる絵を書いていたよ。Salvador Dalí は僕のヒーローだったんだ。だから彼のスタイルが少し入っていた。その当時のことを振り返ると、作曲によく似ていたように思う。というのは絵を書く前に、完璧にしようといろいろ試みるだろう?曲を書くときも同じなんだよね。

この15年、絵を描いている間は、ギターソロみたいに自発的なものだった。キャンバスに向かうときは、前もってどうなるかはわからないよね。ギターソロも同じなんだ。その場で弾いてみたものと次は全く同じものにはならない。今の僕の描き方がそれなんだ。だから源は同じだけど、考え方が異なるということだと思う。ちょうど料理と同じさ。僕にとっては偉大なシェフがすることは、ミュージシャンや画家にとっても同じように当てはまるんだ。音の代わりに風味で作曲をする。または色ではなく風味で絵を書く。全部同じことだと思うよ。

★長く音楽から離れていたのはなぜですか? (7:00)
こんなに長く音楽から遠ざかるとは思っていなかったよ。人生は何がおこるかわからないよね。John Lennon の言葉に「別の計画を立てている時に人生は起こるものだ。- Life is what happens to you while you're making other plans.」というのがあるけど、まさに僕にあてはまる。

David と僕は話し合って、1999年に Whitesnake の活動を中止したんだ。基本的には David がやめたかったからなんだけどね。彼は数年後に再開したよね。自分が絵を描くことを恋しく思っていたこともあったんだ。もちろん、David があと1年か2年やろうと言っていたら、たぶんやっていたと思う。でもしばらく音楽シーンから離れて、ゆっくり絵に傾倒するのもいいかなと思った。というのも13年間 Whitesnake にいて、その間、時間がとれなかったから絵をやれなくて不満に思っていたんだ。

ただ3年か4年、音楽から離れていようと思っていたけど、そうはならなかったね。展覧会とかやってたら、その計画は1年前からやらなくちゃならないんだ。ギャラリーや美術館の都合とかもあるから、計画を立てないといけないよね。だから僕は前もって計画したんだよ。僕は計画するのが苦手なんだ。というか計画しないんだ。本当にひどいんだ。(笑)でも僕は完璧主義だからやろうと思ったら出来る限りのことをする。そうしないといやなんだ。

★Vandenberg’s Moonkings でやりたい音楽って何ですか? (9:30)
自分の心に近い音楽だね。Moonkings の曲は1年半前から書き始めた。どういう方向に行くのか興味深かったよ。というのも計画したくなかったから。さっき言ったように僕は計画できないんだ。だから曲を書き始めてどんな方向にいくのか興味があったよ。10年間も曲を書いていなかったし、詞はそれ以上長いこと書いてない。Whitesnake に86年に参加して以来、David が全部の詞を書いていたからね。Vandenberg と Teaser では僕が書いていたけどね。だから再開してどうなるのかが興味深かった。僕にとっては再びうまく落ち着いたことが驚きなんだ。全く異なるものになってもおかしくなかったけどそうはならなかったからね。僕は心から湧きあがることをしたかった。ブルースとロックをベースにメロディを加えてMoonkings の音楽を作ったというわけさ。

★Whitesnake 参加のいきさつについて教えてください。 (13:00)
僕は Whitesnake のファンだったんだけど、初めて David からバンドに参加しないかと言われたのは、Vandenberg のファーストアルバムが出る前の段階で、デモを作っているときだったんだ。彼のレコード会社のロンドンオフィスでね。僕は無名だったから、彼は僕が Yes と言うと思っていたんだけど、僕は No と言ったんだ。というのも有名なバンドに入る前に自分自身がまずやるべきことがあったから。そのまま Whitesnake に入っても大きなチャレンジにはならないしね。

David に「今はだめなんだ。」と言うと、「ふむ、君は頑固なオランダ人だね。」と言われて「そうごめんね。」って言ったんだ。(笑)でもお互いに連絡は取り続けていたよ。彼から誘われてとても光栄に思っていたし、僕は Whitesnake の大ファンだったし。その1年後に彼から電話があって「気持ちは変わったかい?愚かなオランダ人よ。」ときいてきた。それで僕は「まだだよ。あと1年か2年かかるよ。」って答えた。まだその後のことはどうなるかわからなかったしね。

1986年になると Vandenberg はレコード会社を移籍することになったんだ。そこで Geffen レコードの有名な A&R のマネージャーからロサンゼルスに招待されて、新しいオファーについての話をもちかけられたんだ。「いいよ」って僕は言って、LAに飛んだよ。そこで彼はオファーは2つあると言った。1つ目は、「君以外の Vandenberg のメンバーを解雇しろ」ということだった。彼は他のメンバーを気にいってなかったんだ。そして「君の新しいバンドをアメリカで作りたい。」ということだった。

2つ目のオファーは...「お願いだから Whitesnake に入って!」だったよ。僕にいつも誘っていた人じゃなかったけどね。(笑)

David はそのとき LA にいて、87年のアルバムの制作中だったんだ。僕は「それはおもしろそうだね。」って言ったら、彼は「数日考えて、そのうちにアルバムでやってくれないか。」と言った。僕には拘束されるものはなかったから「いいよ」って。そして Here I Go Again のギターのアレンジをやり直してソロのパートを担当したんだ。そのあと家に帰って2日後に David から電話があって、「よう、愚かなオランダ人。ついに気持ちは変わったかい?」と言われ、「うん、一緒にやろう」ってね。

おもしろかったのは、その頃 David にはバンドのメンバーがいなくて、僕達は二人きりのデュオだったということだね。だからチャレンジが大きかったと思う。David はこれまでの Whitesnake から再出発をして違うことをしようとしていたところだった。僕は対等の立場だと感じたよ。というのもアメリカでは Vandenberg の方が Whitesnake よりも、おそらく当時は知名度があったしね。だから彼と僕が一緒に仕事をするのはいい感じにバランスがとれていたと思う。

★Steve Vai との仕事はどうでしたか? (17:00)
Steve Vai との仕事は素晴らしかったよ。Steve に参加してもらったのは、その頃ひとつ困ったことがあったからなんだ。Slip of the Tongue のアルバムに取り掛かると、僕は手首を怪我してしまって、アルバムのギターパートを弾けなくなったんだ。3日くらいで治ると思ったけど、治らなかった。レコード会社からのプレッシャーもあるし、アルバムを完成させなくてはならないしで困ったよ。David と僕は話し合って、Steve にギターを頼むことにしたんだ。当時 Steve はホットで知名度が上がってきたギタリストだったしね。Steve にギターのパートをやってもらってアルバムを完成させようということになったんだ。

それは僕にとってはもどかしいことだったよ。曲は僕と David で作ったものなのに、僕はプレイできなくて変な感じだった。生まれた赤ん坊を誰かに預けて育ててもらうみたいなものだよね。それで僕はしばらくオランダに戻って手首の治療をしたんだ。

良かったことは手首が直って、ツアーに行く準備ができたことだね。Steve とのツアーは素晴らしかったよ。僕たちはタイプの違うギタリストだけど、気が合ったんだ。多くの人達は、僕たちが競い合っていたと思っていたようだけど、そうじゃないんだ。君は知っているかどうかわからないけど、Steve は Crossroads という映画に出ていたんだ。それで僕たちは彼を知ったんだよ。その中でギター対決の設定があってね。僕たちはそんな感じだったんだけど、競争とはまた違うんだ。

そうではなくて、お互いの能力を出しあってそれを限界まで押し上げるような感じかな。それはチャレンジだった。特に Steve は印象的なプレイをするギタリストで、僕はメロディを重視するタイプなんだ。振り返ってみると、そういうチャレンジがあったから魅かれるものがあって、アメリカンの影響がいつも以上に自分のプレイに及んだという感じだった。

ミュージシャンとしての経験や個人として経験したことって、その後の自分の行動に何らかの跡を残すものだと思ってるんだ。だから Steve と仕事をしたことは、興味深い面を僕のプレイに残していると思う。その中から使っているのがほんの1%であったとしても。

ほかにも例をあげると、ブルース、クラシック、ジプシージャズなんかもね。例えば Bireli Lagrene なんか大好きなんだ。僕はソウルを感じる音楽が好きなんだ。そういった音楽の影響が僕の中に入ってきているよ。

★David Coverdale が Moonkings のアルバムに参加したいきさつは? (20:00)
David と僕は1986年以来、ずっと良い友達なんだ。Whitesnake とも David ともプレイするのが大好きだよ。実際、David の家に1年くらい住まわせてもらったことがあるんだ。作曲、リハーサル、レコーディング、そしてツアーの準備なんかして、すごく仲良くさせてもらったよ。今でも連絡を取り合ってるしね。1週間か2週間に一度のときもあれば、数週間なかったりもあるけどね。でもそういうこともあって、今回の Moonkings のアルバムで彼に歌ってもらえたということだね。

David はこの10年間いつも電話で「おい、愚かなオランダ人。レコードを作ったらどうなんだ。」って言ってたんだ。僕は「レコードは作るよ。でもその前にやらないといけないことがあるんだ。」って言ってきた。それで1年半前に「Davidを喜ばせてあげるよ。ついにレコードを作ることになったよ。」って言ったんだ。そしたら彼は「君のアルバムで歌えたらうれしいよ。」って言うから「僕だって同じ気持ちさ。」ということになって、Sailing Ships をやろうということになったんだ。というのも David はいつもツアーに出ているから、一緒に新しい曲を作る時間はとれなかったからね。それと、僕は常に別のバージョンの Sailing Ships をやりたかったんだ。僕の大好きな曲だったから。

★Manic Eden のことを教えてください。 (25:00)
Manic Eden を作ったのは、David が Jimmy Page とレコードを作ることになって、僕は何もすることがなくなったからなんだ。それで Whitesnake のメンバーだった Rudy Sarzo と Tommy Aldridge、そして Little Caesar にいた Ron Young と一緒に Manic Eden を作った。僕達はとても真剣に計画を立てていたよ。素晴らしいアルバムを作ったと思っているし、今でも僕の大好きなアルバムだ。フランスで一度だけアコースティックツアーをやったんだよ。

でも、とっても難しい決断をしなければならなくなった。David はもっと長くJimmy Page との活動を予定していたんだ。ツアーとかいろいろ。僕たちはどのくらい長くなるかわからないけど、とにかく自分達の道を進むことにしようということになってた。僕としては David があんなに早く Jimmy Page との活動を終わらせるとは予想してなかったよ。僕は Manic Eden を本当に続けたかったんだ。素晴らしいバンドだし、レコードもすごくよかったからね。

そしたら突然 David から電話があって、何の前触れもなく(out of the blue) 「Whitesnake の新しいアルバムを作る時期だ。」と言われた。僕は「そんなの無理だよ。僕には Manic Eden があるから」と言ったんだ。そしたらDavid から「考えてくれよ」って言われて考えてみたんだ。とても難しい決断だったよ。僕は 6年間 Whitesnake にいたわけだけど、Slip of the Tongue で曲を書きながらもアルバムでプレイできなかった。手首のことがあったからね。だから僕は「よしやらなくちゃ」と思った。というのもそうしなかったら、 Whitesnake ではアルバムでプレイすることなく在籍していたことになってしまうよね。結局、Manic Edenをストップせざるをえなかったんだ。難しい決断だったよ。すごくいいバンドだったからね。今でもアルバムを聴いてるんだ。

★Moonkings の結成のいきさつについて教えてください。 (27:50)
Moonkings については短く語るのは難しいんだけど、おもしろい話なんだ。僕はシンガーの Jan に巡り合ってね。彼はオランダに大きな農場をもっているんだよ。彼は Whitesnake のオランダ公演で前座をやったんだけど、その評判がとてもよかったんだ。前座のシンガーはすごいって。それで会いに行かなくちゃと思って、彼の農場へ行ったよ。まず彼にメールしたんだけど、彼は誰かがからかってると思っていたんだ。というのも彼は Whitesnake と Vandenberg のファンだったから、彼の友達の誰かがからかってるって。それで彼の農場へ行ってドアを開けたんだ。そしたら彼は「ええっ、ジョークじゃなかったの?本物だ。」って。それが Jan だ。

ドラマーとベースは Sem と Mart。2人ともまだ22歳なんだ。10年前のことなんだけど、僕の故郷でタレントコンテストがあって、僕は審査員をしたんだ。そこで2人を勝たせたんだよ。そのとき二人は12歳だったんだけどすごくよかったんだ。僕はそのあと彼らのことは忘れてしまっていた。

僕は地元のサッカーチームのFCトウェンテのために演奏しなくてはならなくなくなってね。数年前、オランダでチャンピオンになったチームだけど、僕はそのチームの曲を作ってライブで演奏してくれって言われたんだ。しかし、僕にはバンドがなかった。そんな中、Sem と Mart にたまたま出くわして、「一曲だけど一緒にやってくれるかい?」と言ったんだ。2人は「僕達のことを覚えてるんですか?」って言ったけど「いや覚えてないなあ」と言った。2人はタレントコンテストのことを言ってくれたんだけど、僕は覚えていなかった。2人ともこんなに小さかったし、短いスパイキーヘアだったからね。

12歳なのにすごかったよ。僕は彼らに、「10年前の半分の力を見せてくれたら、この仕事は君らのものだ。」と言った。その1曲だけを4人でやって、それが Moonkings になったんだ。まだ僕はバンドを作るつもりはなかったんだけどね。Sem と Mart はすごかったから、僕のバンドに入れっていったら、2人も僕がからかってると思ったみたいだ。(笑)

(えっと、ここからがっつり抜けています。^^Starkers in Tokyo の話とか、生徒とデートした話とかおもしろいんですけど、カットしてます。ごめんなさいです~。)

★影響を受けたギタリストは誰ですか? (45:50)
Jimi Hendrix に一番最初に影響を受けたよ。さっき話した Manic Eden のアルバムは、僕なりのHendrix への敬意の表明なんだ。僕がストラトキャスターだけを使った唯一のアルバムなんだ。Hendrix のギターだよね。あのアルバムで僕は Hendrix に敬意を表したかったんだよ。だから Hendrix っぽく弾いている。特に Do Angels Die は 究極の Hendrix への敬意なんだ。イントロはすごくHendrix だろ?彼は今も僕のヒーローだ。そのほかには Jeff Beck, 初期の Eric Clapton, Stevie Ray Vaughan, Brian May, など、とても多くのギタリストから影響を受けている。Leslie West もそうだ。40人くらいの名前は挙げられるよ。

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以上、Adrian のインタビューをお届けしました。

前半は大体カバーできています。要旨ではなくてほぼ話された通りに訳しています。後半も書こうと思ったけど、ブログの記事に文字制限があって、「何文字削除せんとアップできひん」と警告が出てしまいました。やっぱり制限があったんですね~。ってか、こんな長いの書く人は私くらいですわね。(;^_^A

Adrian のお話を聞いていて、とても人間的な魅力のある人だな~と思いました。優しくて包容力があって、男性からも女性からも好かれる理由がわかります。

Slip Of The Tongue でギターを弾けなかったことを、Adrian は自分の赤ちゃんを別の人に預けて育ててもらう気分っておっしゃっていますね。全曲 Adrian が作曲しましたから1曲もギターを弾けなかったのは悲しかったと思いますよ。

あと Manic Eden についてはこれまで何も語られていなかったので興味深かったです。カバの誘いを断ったら、Whitesnake ではただのツアーメンバーの肩書きしか残らないと思ったんですね。この箇所は聞きいってしまいました。

ということで文字数制限があるのでここまでです。 035.gif

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せっかくなので Vandenberg's Moonkings の曲を。

Good Thing is a Good Song♪


>エイドリアンのインタビューは Part 2 もあります。

よかったら読んでくださいね。 
→ Adrian Vandenberg Interview 2014(日本語訳)Part 2

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by ladysatin | 2014-08-28 21:38 | Music & English_1

今日は文法のトピックです。

以下の二つの文を見てみましょう。

(a) I am studying English to enter a business school.

(b) I am studying English for entering a business school.

(a) は to 不定詞で、(b) は for 動名詞ですね。

これ、どう違うのかな。

(a) の訳は普通に訳すとこうなるでしょう。
私はビジネススクールに入学するために英語を勉強しています。

(b) も同じように訳してしまいそうだけれど、ここは気をつけてきちっと訳し分けが必要です。
動名詞の場合は 用途 を表しますね。

とすると(b)の訳は。。。
私はビジネススクールに入学するための英語を勉強しています。
つまりビジネススクールの入学に必要とされる specific な英語を勉強しているという意味になるでしょう。

(a) は「するために」
(b) は「するための」
この違いです。

こんな例もあります。
●We use a knife to cut bread. パンを切るためにナイフを使う。
●We use a knife for cutting bread. パンを切るためのナイフを使う。

この違いをいきなり説明しろと言われると「ううっ」となりそうですが、微妙というより全く意味が違うと思いませんか。

またしても英語の奥深さを感じちゃう。

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さて、今日は to 不定詞と for 動名詞の違いをさらに掘り下げてみたいと思います。

皆さんは、ハードロックはお好きですか?
実は私は生粋のハードロッカーなのです。
ん?コインロッカーちゃうよ。ハードロッカーですよ。(^○^)

そう、私の英語人生の始まりは洋楽でした。1970年代の後半は、ロックの全盛期ですから、のめりこむ、のめりこむ...

最近また KISS と Queen の曲を聴いていて、うーむ、この違いは何ぞや?と改めて思う表現があったので考えてみようと思いました。この二つのバンドの有名な曲のタイトルで歌詞の中にも使われているフレーズなんですが、以下の二つを皆さんもご存知かも?

I was born to love you - Queen 
「わたくしは、あなたを愛するために生まれてきたのです。」

I was made for loving you - KISS
「わたくしは、あなたを愛するために作られたのです。」

今頃になり一方は to 不定詞 でもう一方は for 動名詞であることに気づき、素朴な疑問が芽生えたのです。

この二つには何らかのニュアンスの違いがあるはず。
だけどそれは一体何なんだ???ということ。


ま、どうでもいいと言えばいいことなんですが、これについては、明確な解答をズバリと示している文献を見たことがないのです(あるわけないか^^)。聞かれたこともないので考えたこともない。しかし、「今こそ、考えてみようではないか!」と自分を奮い立たせたのです。

わかっているのは、両者とも「愛するため」という目的を表しているということです。

★ではまず to 不定詞から見ていきましょう。

いわゆる to 不定詞というのは未来志向だと言われ、副詞的用法で目的を表す場合も、to 以下は未来について言及しています。

例)I went to the park to play tennis.

「テニスをするために公園に行きました」という場合は、公園に行くのが先で、テニスをするのはそれ以降のことなので未来の話になります。副詞的用法の to がたびたび and で書き換えることができたり、「結果を表す to 不定詞」という見方をする場合があるのも、時の概念がそこにはっきりとあるからなんですね。

そのように考えると I was born to love you は未来においてあなたを愛するために、私は生まれてきました。」となり、大変わかりやすいです。

★さて、for 動名詞はどうでしょう。

原点に戻って、動名詞とは何かということを考えてみました。不定詞が未来志向なのに対し、動名詞は現在・過去志向だと言われます。そして動名詞というからにはまぎれもなく名詞なのです。不定詞が未来における動作を表すのに対し、動名詞というのは名詞なので動かない、すなわち現在・過去において静止したものであると考えることができるのです。

おお、一気に解決か?と思っちゃいますが、ここまでくるのに紆余曲折があって、あーでもない、こーでもないと、あと一息のところでズバリの解にいたりませんでした。

ああ、やっぱり基本に戻って辞書で調べなくては、と思い、ランダムハウス英和大辞典にお願いしてみました。for にはたくさんの用法があります。一つ一つチェックしていった結果、すばらしい解が...

ランダム先生が言うには for = with the object or purpose of ですと。

ほおっ。ではこれを元の例文に当てはめてみましょう。

I was made for loving you = I was made with the purpose of loving you.

この意味は「わたくしは、あなたを愛するという目的をもって作られた。」となるではありませんか。不定詞がもつ未来の話ではなく、作られたときに「あなたを愛することは私の目的として備わっていた」と考えることができるのです。

私の心はスカッと晴れ渡りました。(^^)

★まとめましょう★

●I was born to love you
生まれたのが先、あなたを愛するのはそのあとの話。あなたを愛して初めて「私ってあなたを愛するために生まれてきたんだわ。」と気づいていうときは to 不定詞を使う。

●I was made for loving you
あなたを愛するという目的をもって私は作られた。だから「あなたを愛することは必然だったのです。最初から私にはわかっていました。」という悟りの境地が for 動名詞と考えたらいいと思います。ハイ。

めっちゃすっきり~ (^^)♪

ということで考察はこれで終わりです。

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おまけ

せっかくなので、締めくくりに KISS の I was made for loving you を聴こう♪
ワタクシの初恋の Paul Stanley がめっちゃ美形だった1990年のライブ映像を選んでみました。
まるで少女マンガから出てきたような Paul です。

ついでながら Paul の MC をディクテーションしました。演奏に入る前のところね。
一緒にどうぞ。

Last time we played here, when the show was all over, everybody seemed to have a good time, but one person came over to me and said, “How come you didn’t play that song, the one you had a hit with a while ago.”
最後にここでプレイしたとき、ショーが終わったあと、みんな楽しんだみたいだったんだけど、ある人がやってきてこう言ったんだ。「何であの曲やらなかったの?以前ヒットしたあの曲」

I said, “What song are you talking about?” He told me and I said, “Well, when we come back, let’s give it a shot.”
「どの曲のことかい?」ってきいたら教えてくれて、そのあと俺はこう言ったんだ。
「じゃあ、次にここに戻ってきたときにやるよ」って。




ではまた。001.gif
by ladysatin | 2014-08-23 21:34 | Music & English_1 | Comments(0)

8月なので原爆関連のお話を書きたいと思います。

私は過去に朝日新聞の特設サイト「広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ」のボランティア翻訳に参加しました。

以前そのことについて書いた記事があります。よかったら読んでいただけるとうれしいです。
こちらです。
→ 久しぶりにボランティア翻訳
→ ボランティア翻訳の続き

今日はこのボランティア翻訳で題材として渡されたものを取り上げようと思います。

私の翻訳の仕事は、技術関係が主体です。テクニカルな内容ばかりなので、人物の心理描写や情景描写を日本語から英語に翻訳することは全くありません。なので、そういった翻訳は不得手の部類に入ります。

だからこそ、自分の英文力をネィティブに添削してもらうということは、非常に勉強になります。もちろんネィティブの添削といってもきちっとした英語が書ける人は少ないので、レベルの高いネィティブに添削してもらわないと意味がないことはいうまでもありません。

今回の題材 一人芝居「命ありて」 の英訳では、ネィティブの修正訳で「なるほど」と感じたところがいくつかあり、皆さんにも読んでいただければと思いました。

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一人芝居「命ありて」
 → 日本語原文 
 → 最終英訳 

この記事のタイトルは「命ありて」です。
さて「命ありて」をどう訳しましょう。最初からつまずきました。

「命ありて」を直訳すると With Life あたりになるんでしょうか。しかし、何かそっけないタイトルです。「命とともに」みたいな感じですね。My Life はどうかな?...「私の命」-う~ん、これも何か変です。

どうもしっくりした訳が思いつきません。そこで、「命ありて」をもう少し咀嚼してみました。

この記事は被爆者として生き残った男性が、自身が経験したことを、一人芝居を通じて平和のありがたさや命の尊さを後世に伝えようとする内容を綴ったものです。

そう、命の尊さ。。。私は、とっさに Gift of Life というタイトルを思いつきました。「命という贈り物」が原義ですが、「命ありて」が表したいことはこれではないかと思ったのです。

全訳が終わって新聞社に提出しました。Gift of Life とした理由を添えて。また、ネィティブのプルーフリーダーに違和感があると判断されるようであれば、タイトルは変更してもらってかまわないと書きました。

さて、修正訳が戻ってきました。そこで見たものは Gift of Life ではなく The Gift of Life でした。そうです。定冠詞の The が添えられていたのです。私はこれを見て、何か新鮮な驚きを覚えました。と同時に「ああこれは The Circle Game と同じものなんだ」と思ったのです。

以前のことですが、The Circle Game – Joni Mitchell 訳詞考察 の記事で、なぜ Circle Game に The がついているのかということを考えたのです。もしかしたら、これと同じかもしれないと思いました。つまり、総称用法の The です。普通 Gift から連想されるものは無限大にあります。その無限大にあるものの中から「命」に限定した Gift を指す場合、The が必要なのは言わずもがな。定冠詞のない Gift of Life のぼんやり感では、非常に弱い印象になってしまいます。私はこのことに全く気付いていませんでした。

本にしても曲にしてもタイトルは極めて重要な意味をもちます。返ってきた修正訳を見て、このことを再認識させられた思いがしました。

あといくつか冠詞の誤りを指摘されました。本当に冠詞の使い方は勉強しても自分のものになりにくいものだと痛感します。

英文自体を大きく修正された箇所もありました。その箇所をご紹介します。

主人公の男性が修学旅行の中学生を前に、一人芝居を公演中、やじを飛ばされます。騒ぐ生徒がいても、男性は芝居を続けました。このことが、子どもに被爆体験を伝えることの難しさを象徴する事例として、大きく報じられました。男性は謝罪に訪れた生徒達にこう言いました。

「人の痛みのわかる人間になってください。もう水に流しましょう」

この言葉を私はこう訳しました。
Please become a person who understands pain of people. Let's forget and forgive now.

とりあえず文にはなってはいますが、いかにも日本人が書いた英文と思わせる文です。この程度しか書けない自分が情けないです。もちろん、赤が入って帰ってくることを覚悟していました。

修正訳はこうです。
◎Please grow into adults who have empathy for other peoples' pain. Let this be water under the bridge now.

やっぱり全く違いますね。「人の痛みのわかる人間」の箇所に empathy を使ってあります。「わかる」は understand と反射的に考えてしまったのですが、ここでは「他人の気持ちを理解きる」を表す empathy がふさわしいのです。

そして「もう水に流しましょう」の箇所。自分の訳 Let's forget and forgive now. の英文は悲しくなるほど稚拙です。修正訳は Let this be water under the bridge now. お見事としか言いようがありません。「水に流す」をこう表現するとは。

こんな感じで自分の持つボキャブラリーの貧困さに愕然とする思いがしますが、こういう機会がないと作文能力はなかなか向上しません。私にとってはとても有意義なことでした。

さて、最後の文言です。

渡辺さんは、90分の芝居を必ずこう結ぶ。「原爆で生きることを奪われた同級生の分まで、生きてきた。みなさんも命を大切に、一生懸命生きてください」

私の訳です。
Mr. Watanabe concludes his 90-minute monologue as follows. "I have lived for my classmates who were deprived of life by the atomic bomb. Please value your life and live hard."

ネィティブの修正訳です。
◎Mr. Watanabe concludes his 90-minute monologue as follows: "I continue living for my classmates who were deprived of life by the atomic bomb. Please value your life and live earnestly.

8月が来るたびに、平和の尊さと命の尊さを噛みしめます。それはきっと、このような語り部と言われる方々が、口を開いて、後世へ伝える取り組みをこれまでしてくださったからなのだろうと思います。

終戦記念日の今日、また平和への誓いを新たに。
by ladysatin | 2014-08-15 19:36 | 英語と私といろいろ | Comments(0)

今日の訳詞の世界は、私の大好きな Gary Moore の名曲です。

ちょっと前、ニュースで Gary Moore の名前を見たときは驚きました。
今頃なんで~?と思ったら、羽生結弦選手が Parisienne Walkways パリの散歩道 をショートプログラムの曲にしてたんですね。

「これ一体誰の曲~?」ってえらく話題になってたわ。そりゃ今の若い方は知らないですよね。というか年いってる人でも、私みたいにロックとブルースにのめり込んでいた人じゃないと、Gary Moore は聴いていませんしね。

「パリの散歩道」が入っているアルバムは、確か Back On The Streets...
調べたら1978年のアルバムでしたけど、この時はまだ私は Gary のことはよく知りませんでした。

私にとって Gary はやっぱり Corridors Of Power (1982) なのだな~。あまりにも素晴らしすぎてレコードが擦り切れてしまったわい。その次の Victim OF The Future (1983) は個人的に今一つだったのだけどWild Frontier (1987) がまた素晴らしくて、やっぱ Gary は天才だと思った次第。

今日は、Wild Frontier に入っている Crying In The Shadows です。
この曲は、本田美奈子さんが 「the Cross - 愛の十字架」というタイトルで歌ってヒットしたのですよ。
悲しいことに二人とも故人になってしまいました。




2:30頃からの盛り上がりが最高です。
涙が出ちゃうほどメロディが素晴らしい。。。

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Crying In The Shadows

Sometimes he sees her walking by
He never looks her in the eye
She doesn't know
She doesn't care
What he is feeling

時折彼女の歩く姿を彼は見かける
彼女の目を決して見ようとはしない
彼女は知らない
気にかけることもない
彼が感じていることなど。。。


And as she turns to walk away
There is nothing he can say

そして彼女が向きを変え歩き去っても
彼には何も言えない


She doesn't know
Why should she care?
When he's alone, she's never there

彼女は知らないのだ
気にかける理由もない
彼が孤独でいるというのに
彼女はそこにはいないのだ


To see him
Crying in the shadows
Of a love he used to know
But now it's all over

彼が泣いているのを見ることは決してないんだ
かつて彼が知っていた愛の影の中で泣いているというのに
だがすべては終わったんだ


Crying in the shadows
Of someone he called his own
But now he's all alone again

影の中で泣いている
自分のものだといっていた誰かの影の中で
だが再び彼は一人ぽっちになってしまったのだ


Sometimes she sees him walking by
She never looks him in the eye
He doesn't know
He doesn't care
What she is feeling

時折彼の歩く姿を彼女は見かける
彼の目を決して見ようとはしない
彼は知らない
気にかけることもない
彼女が感じていることなど。。。


And as he turns to walk away
There is nothing she can say

そして彼が向きを変え歩き去っても
彼女には何も言えない


He doesn't know
Why should he care?
When she's alone, he's never there

彼は知らないのだ
気にかける理由もない
彼女が孤独でいるというのに
彼はそこにはいないのだ


He leaves her
Crying in the shadows
Of a love she used to know
But now it's all over

彼は去っていく
彼女を影の中で泣かせたまま
かつて彼女が知っていた愛の影の中で
だがすべては終わったんだ


Crying in the shadows
Of someone she called her own
But now she's all alone again

影の中で泣いている
自分のものだといっていた誰かの影の中で
だが再び彼女は一人ぽっちになってしまったのだ


But he can see it in her eyes
Oh, she can feel it in her heart
Yes, they can feel it in their hearts
It's tearing them apart
Over and over again

だが彼は彼女の瞳の中にそれが見える
ああ彼女は心の中でそれを感じる
そうさ二人は二人の心の中でそれを感じるのだ
それが彼らを引き裂くのだ
何度も何度も。。。


Crying in the shadows
Of a love he used to know
But now it's all over

影の中で泣いている
かつて彼が知っていた愛の影の中で
だがすべては終わったんだ


Crying in the shadows
Of someone she called her own
But now she's all alone

影の中で泣いている
自分のものだといっていた誰かの影の中で
だが再び彼女は一人ぽっちになってしまったのだ


Crying in the shadows
Of a love they used to know
But now it's all over

影の中で泣いている
かつて二人が知っていた愛の影の中で
だがすべては終わったんだ


Crying in the shadows
Of a love they used to know
But now they're all alone again

影の中で泣いている
かつて二人が知っていた愛の影の中で
だが二人はともに今再び孤独になってしまったんだ


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訳詞は以上です。(^^)

さて、読んでくださった皆様、この歌に出てくる二人ってどんな関係なんでしょうか。

この歌についてのバックグラウンドは何もわかりません。

こうなんかな~と思うのは。。。
この二人は以前恋人同士だったみたい。again が何度も出てくるからたぶんそう。
一旦、別れちゃったんですね。でもお互いがお互いをあきらめきれていないんです。

で、相手がどうしているか探りに行くわけだな。相手を思っているのは自分だけで、相手は自分のことなど過去の男または女になっていると思っている。だからただ見つめていることしかできないの。

お互いに愛し合っているということに気付かない二人なのである。
で、結局すれ違ったまま別れてしまう。

ね、つじつまが合うでしょう?

腹を割って話し合いなさいとおばさんは思ってしまうぞ。(*'-'*)

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あと英語の方は特に解説するほど難しいところはありませんが、一つだけ。

To see him
Crying in the shadows
彼が泣いているのを見ることは決してないんだ


この To see him の To なんですが、何だろうと考えていました。
不定詞の副詞的用法のようなんですが、最初これって条件を表す用法なのかと思いました。

こういうの高校の時に勉強しました。
To hear him talk, you would think he is an American.
= If you heard him talk, you would think he is an American.
彼が話すのを聞けば、彼をアメリカ人だと思うだろう。

でも違うな。
おそらく、前の文の続きのようです。

When he's alone, she's never there to see him crying in the shadows
直訳)彼が孤独だと言うのに、彼が影の中で泣いているのを見るために、彼女はそこにはいない。

たぶん、この to は、目的を表しているんだと思うんですが、直訳では今一つです。

前から訳した方がわかりやすいかな。
つまり「彼女はそこにいて彼が泣いているのを見ることは決してない。」とするといいかな。

やれやれ。

では、今回はこのへんで終わります。

そうそう、Gary Moore は Free の Wishing Well をカバーしていますが、これもまた素晴らしいです。
そのうちに訳詞をするつもりです。(^^)
by ladysatin | 2014-08-10 21:55 | Music & English_1 | Comments(0)

Face the Music の後半部分に行きます。

前半部分はこちらです。^^
→ Face the Music - Paul Stanley を読みました(前半)

アメリカでは人気は下火になり、プレスからは「死にかけている気分はいかが?」と言われながらも頑張るポール。

この頃ブラジルで18万人の観衆を前にコンサートを行います。この模様は KISSOLOGY (DVD) に入っています。これまでも3万人とか5万人規模のコンサートはやってきましたが、18万人にはたまげたと言っています。オイルのドラム缶の底にいるみたいな感じって、う~ん、わかったようなわからないような。とにかく観衆のエネルギーがすごかったようです。

しかし、北米ではバンドは危うい状況でした。ポールはメークを落とすことしか道はないと思い、ジーンを説得します。メークなしでも生き残れるかどうか。人々がいつも KISS はギミックだと言っていたのが真実であれば、そのときが辞め時だとポールは思いました。なぜなら継続に値しないバンドだからです。

次のアルバム Lick It Up のリリースと同時に MTV に初素顔で登場します。これも KISSOLOGY で見ることができます。ポール、めっちゃ美形ですてきなのっ。それまで MTV は KISS を無視していたのですが、ここから MTV の態度が変わってきました。Lick It Up の PV も流されるようになります。ポールは、Lick It Up は Creatures ほど良いアルバムではないと思っていましたが、アルバムはダブルプラチナになり、ビッグバンドとして復活しました。

次はメイクなしでライブをやらなくてはなりません。83年のポルトガル公演でメイクなしライブをやったときは、お客さんは最初わけがわからなかったようです。誰この人たちって感じ。ポールは解放された気分で、エキサイティングだったと言っています。それでも、今までの経験から、カメラがいると思ったら反射的に顔を隠してしまっていたそうです。わかる気がしますね。

ヴィニーの態度は相変わらずで、日増しに悪くなっていきました。ロシアの国境付近に行ったときの食事エピソード、ここには書きませんが、ううっ、ヴィニーそれはないでしょって言いたくなることが書かれてあります。彼はギターソロもやたらと長くてなかなか終わらないため、ジーンとポールはついにステージに上がって「リードギターのヴィニーです!」って言って無理やり終わらせたとか。ヴィニーは超激怒。これにて解雇。

次のアルバム Animalize のときはジーンは制作にはあまり関わらなかったようで、ポールは捨てられたと感じました。Animalize はほとんどポールの手によるものでしたが、ジーンは共同プロデューサーとして名前を出すことを求め、報酬もポールと同じ額を期待しました。このあたり、ジーンのことがつらつらと書かかれています。

新しいギタリストのマークは、ヴィニーとはまた別の理由で仕事がしにくかったようです。いいフレーズを彼が弾いたので、ポールが「もう一度やってみて」と言ったら、「同じことは2回できないんだ」と言ったとか。また、「ジミー・ペイジやエリック・クラプトンなんか聴いてみろよ」と言うと「あの人達より僕の方が速く弾ける」というお答え。ポールは困りました。

マークは関節の病にかかり、手を動かせなくなりました。結局治らずツアーには一緒に行ったものの、助っ人のブルース・キューリックがすべてのギターパートをつとめました。ブルースのことをポールは「高潔の士 mensch」と言っています。素晴らしいギタリストで、チームプレーヤーでもありました。やっとパーマネントメンバーが決定しポールは安堵したようです。

84年のヨーロッパツアーでは、駆け出しの Bon Jovi がオープニングアクトでした。ポールはジョンのことを、頭が良くてよく自分にいろんな質問をしてきていたと言っています。当時の Bon Jovi のマネージャーだったドク・マクギーから「次の Bon Jovi のアルバムを彼と一緒に書いてくれないか」と話をもちかけられたポールは、「デズモンドに電話しろよ」と言いました。これがきっかけで、Bon Jovi の大ヒットアルバム Slippery When Wet は出来たのです。

さて Animalize は200万枚売れたわけですが、それでももうロックバンドのトップと言える地位ではありませんでした。Van Halen や Def Leppard は1000万枚クラスですからね。レコード会社は KISS に冷たかったようです。また、この頃ジーンとの仲はかなり悪かった様子。ジーンのずる賢いところが詳細に書いてあります。これはおそらくその通りだったんだろうな~と思います。

その頃高校の同窓会がありました。自分の成功を皆に思い知らせたかったと。しかし、実際にそこに行ってみると、ハイスクールの花は昔のようにホットな女の子ではなく、その他の人々も良い年の取り方をしているようには見えませんでした。自分を馬鹿にしていた人達を見返したかったのでしょうけれど、そんな気持ちはうせたようです。ポールはもう同窓会には行きたくないと思いました。

次のアルバム Asylum のセールスは Animalize と同じくらいでしたが、またバンドの人気は衰えを見せていました。その頃、ポールはあるバンドのプロデュースの仕事をもちかけられます。Guns N' Roses です。え~、こんなの知らなかったよ。

Guns のメンバーに会いに言ったとき、ポールはジョークを言ったらしいですが、皆それがよくわからなかったらしい。というのも、どっぷりつかっていたからでしょう。イジーは意識がなく、眠っているのか死んでいるのかわからなかったと。スティーブンとダフはナイスガイでした。スラッシュは半分意識がなく、これがあのときの男の子だったとはポールは気付きませんでした。アクセルともお話したようですが、ちょっとポールがコーラスのアドバイスをしたのがアクセルと話をした最後でした。アクセルについてはこれ以上のことは書かれていません。結局、ポールのプロデュースは実現しませんでした。

1988年の Crazy Crazy Nights のヨーロッパツアーのとき、オペラ座の怪人をポールは見ました。この時、「この役を自分はやれる」と思ったそうです。運命的な出会いだったんでしょうか。

Crazy Nights のツアーのとき、エリックはポールと口をきかなくなりました。数か月もポールと話をしなくなったので、ポールはエリックに「ええかげんにせんかい!」と言ってエリックを諭しました。エリックがそんな感じだったとはとても思えませんけど、そうだったんですね~。

ジーンもやる気がなく、ポールはまたしても捨てられた気持ちになります。次の Smashes, Thrashes & Hits のアルバムジャケットではポールは中央に自分が立つことを決めます。確かにその他の3人はポールのバックバンドみたい。ポールはそんなことはしたくありませんでした。しかし、それが現実の自分の立ち位置だと思ったんだと思います。

ところで、このアルバムから Let’s Put the X in Sex と (You Make Me) Rock Hard の2曲の PV を作っています。ポールはあの2曲は horrible – 最低だったと言ってます。私は曲も好きだし、ギター持たずにダンスしているポールも見とれてしまうほどかっこいいと思ってます~。

このあとポールはソロツアーをやります。ブルースのお兄さんのボブがリードギタリスト、そして、後のメンバー、エリック・シンガーがドラマーをつとめます。このとき、エリック・カーは、かなり傷ついたみたいですね。「君は KISS のドラマーであって、僕のバックアップメンバーではない」とポールは言いましたが、エリック・カーは、エリック・シンガーに「君が僕の座をとってかわることになるよ」と言っていたようです。

エリック・カーは Hot in the Shade のツアーのときは、もう全くポールと口をきかなくなっていました。YouTube のインタビューとか見ると、全然そんな風に見えないんですけどね。2人で仲良く MTV の番組にも出ていますし。

さてポールですが、1990年7月3日のショーのあと、自分の家に帰る途中に、事故にあって、大変やったらしい。いくつかショーをキャンセルしましたが、バンドのメンバーの誰ひとりとして、「大丈夫か」とか「何があったの?」なんてきくことはありませんでした。これ悲しいですよね。

ところで Hot in the Shade のときのポールって本当にかっこいいんですよね~。KISSOLOGY の1990年のコンサートのビデオは何回見たかわかりません。まるで、少女マンガから出てきたようなポールは美しすぎるのです~。こんな人、今のロックミュージシャンの中には皆無です。(キッパリ!)

Hot in the Shade のツアーが終わった後、ポールは結婚願望に目覚めます。いい年の男が若い女の子をナンパしているような場面を80年代の初期に見ていて、自分はあんな風にはなりたくないと思っていたと。またひとりぼっちでいるのもいやだったんだと。

どうしたらこの状態を解決できる?はい、結婚しかありませんよね~。

ポールはこの新しい目標を回りの人に言っていたらしいです。ポールほどの人でしたらいくらでも女性はいたでしょうけど、そんな中で、最初の結婚相手の女性と出合います。パメラ・ボウエンさんという女優さん。この人もすごくきれいな人。顔立ちに気品があってシュッとしているの。

パメラはある男性と別れたばかりで、新しい人とお付き合いする感じではなかったそうですが、手に入らないものをポールは求めますもので、彼女が電話番号を教えてくれるまで頑張ったそうです。お付き合いしていく中ではいろんなドラマがあったとか。

1991年の初めころ、エリックは癌におかされ入院します。God Gave Rock ‘n’ Roll to You のビデオが最後のエリックの仕事になりました。エリックなしで次のアルバム Revenge の制作にとりかかることになったので、当然ドラマーが必要になります。プロデューサーのボブ・エズリンはたくさんドラマーを連れてきましたが、最後はポールのソロツアーを担当したエリック・シンガーでまとまったようです。

エリック・カーの病は悪化していきます。そして、ポールやジーンにはエリックの状況は知らされなくなりました。エリックのご両親からも拒絶されます。そして、1991年11月24日に亡くなったことを聞かされ、ショックを受けます。

エリックのお葬式では回りからの敵意を感じたとポールは言っています。エースとピーターもお葬式に来ました。そこでポールはピーターから、エリックがしょっちゅうピーターに電話していたことを聞きます。相談ごとだったのかどうかはわかりませんが、ピーターがエリックを嫌っていたのは有名なので、ポールはわけがわからなかったと言っています。

エリックは KISS から追い出されたと感じていたようです。ポールにはそういう気持ちはなかったのですが、エリックにはとっては KISS は生命線だったんですね。このあたり読んでいるとつらいものがありました。。。

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さて、Revenge のヨーロッパツアーに行く頃、ポールはパメラにプロポーズします。子供を授かったこともあり、今がそのタイミングだとポールは思いました。とってもワクワクしたと書いてあります。でも、結婚式の数日前に流産してしまいます。2人は非常にショックを受けたまま式を迎えます。参加した人も皆そのことを知っているので、暗い結婚式だったようです。

Revenge のツアーが1992年の暮れに終わった頃は音楽業界も変わっていきました。景気の悪化とグランジブーム台頭です。ジーンはポールにグランジの路線を提案します。でもポールは自分達が陰気な音楽をやるなんて馬鹿げていると思っていました。そりゃそうでしょうとも。KISS がじめっとした歌をうたうなんて、あまりにも合いません。

ポールのグランジに対する見方はなるほどと思います。グランジの連中は1枚目のアルバムは素晴らしいものを作るんだが、それがプラチナアルバムになって、もうゴキブリだらけのガレージとおさらばしたあと、セカンドアルバムはどうするんだろうと。金持ちになって、それでもまだ惨めだというのなら、精神科に行けばいいと書いています。一方、ジーンのグランジへの傾倒はゆるぎなく、ポールは同意せざるをえなかったようです。

最初の子、エヴァン君の誕生はポールにとって最高の喜びでした。これまでは常に自分が宇宙の中心にいたのに、彼が自分の中の中心になったのです。彼の誕生はポールの心を落ち着かせ、大きな疑問への答えを見つけるに至ります。

なぜ僕たちはここにいるのだろう?それは、子供を育て、より良いものを後世に残していくため。ずっと前にハワイで溺れかけたときに、自分が死んだあとも世界が続いていくなんてそんな馬鹿なことがあるかと思っていたのに。このあたり、とっても良い内容が書かれてあり感動しました。

1995年は KISS コンヴェンションの年でした。この時ピーターが飛び入り参加していい感じだったようです。MTV のアンプラグドは当時すごく話題になりました。これがきっかけで、再結成の道へ歩んでいきます。

再結成についてはポールは最初から乗り気だった印象を私は受けました。若気の至りでああなったけど、今は皆それぞれ人生から色々学んだだろうという思いもあって、もう一度やりたかったのかな。最初のプランは、高めのチケットを設定して観客の規模も少なめでと考えていたようですが、あの4人が合流してまたあのメークでやるわけですから、大規模にならないわけがありません。

マネージャーはドク・マクギーに決まり準備万端になりつつある頃、ブルースとエリックに打ち明ける時が来ました。結果として2人を傷つけることになりましたが、2人とも大人の対応だったようです。ブルースとエリックだったから話がややこしくならなかったのかもしれませんね。

さて再結成にあたって、ポールはさすがだなと思ったのは、トレーナーをつけてトレーニングを全員で開始したことです。人々が覚えているのはスリムな KISS ですからね。太った男どもがタイツはいてステージにあがってお客さんを失望させるなんて絶対いやだったんだと。私も大阪城ホールで見ましたけど、本当にポールはかっこよすぎて、若い時よりますますセクシーでさすがやな~と思いました。

エースとピーターはかなり演奏力に衰えがみられ、トミー・セイヤーがついて1対1の練習が始まりました。トミーはピーターに罵倒されながらも最後は何とかピーターをステージに立たせられるレベルまでに引き上げました。

このツアーは1万人規模とポールは読んでいたので、ドクからタイガースタジアム(4万人収容)から始めると言われて「頭おかしいんちゃう?」と言ったとか。でもドクは Bon Jovi や Motley Crue のメガツアーを成功させた人です。どのスタジアムも発売と同時にソールドアウト。タイガースタジアムの時の模様は KISSOLOGY で見ることができるのですが、ポールは感極まって泣いてましたね。

ツアーは途中まではまあまあよかったようですが、ピーターの奥さんが出現すると、ピーターのわがままが悪化していきます。またエースも何か変。。。ここには書きませんけど、バンド内はぐちゃぐちゃです。おまけにポールとパメラさんの仲もぎくしゃく。バンドも家庭も機能不全になりました。

Psycho Circus ツアーの頃、ポールは Phantom of the Opera のオーディションの話をもちかけられます。見事オーディションに合格し、練習に励むポール。自分が書いたものではないものを歌うことは相当な苦労だったようです。でも、いろんな問題をクリアしていくポールは本当にプロフェッショナルな人だと思います。

ショーにはピーターも見に来て、いつになく暖かな表情を見せてくれたようです。古い友人のような気がしてピーターといてとても楽しかったと言っていますよ。ピーターのこといい感じに書いてるのはここだけ。

Phantom of the Opera を通して AboutFace の人と知り合いになり、この組織のスポークスマンになったお話は有名ですね。自分が出生異常で生まれたことを今なら話すことができると思ったのでしょう。AboutFace の子供達や親に自分の経験を語り、激励したいと思ったそうです。今もポールはこの活動をされていると思います。

このあとポールは最初の奥さんと離婚しますが、裁判のこととか詳細に書かれています。一番大切にしていたのはエヴァン君だったので、彼がいない家に一人でいたときのつらさとか読んでいると感情移入しちゃって困った。ポールって本当にいいお父さんなんですよね~。一緒にエヴァン君とお料理するのが楽しかったって言ってます。その頃はエヴァン君がすべてだったんですね。

あるときポールのお父さんは「愛情を与え過ぎているんじゃないか」と問いかけました。するとポールはこう答えたそうです。「愛情を与え過ぎるということはないんだ。少なすぎるくらいだよ。愛が子供を弱くすることなんてない。愛は子供を強くするんだよ。」と。

さて、もう人生にドラマはいらないと思っていたポールですが、運命の女神が現れます。今の奥さんですね~。20歳も年が離れているそうですが、きれいな方ですよね。ここからは幸せないきさつが描かれています。

以上、簡単にまとめさせていただきました。この本の最初には To my family とあります。家族に自分の人生とはどういうものだったのかを知ってほしかったのでしょう。それがこの本の第一の目的ですね。エヴァン君はもう大学生になりましたが、まだ小さなお子さんが3人います。ポールは還暦すぎてますし、色々考えたんだろうなと思います。

それとこれは私が思っていることだけど、これまでポールはあることないこと書かれていやな思いをしたことがあったと思います。それについても自分の考えをきちっと言っておきたかったんじゃないかと思います。読んでいくうちに、もうそれは終わったことやんか、そこまで書かんでもええやんかと思った箇所も結構ありましたが、やっぱりポールって素敵な人だなと最後には思いました。ポールの自伝が読めてよかったし、出してくれてうれしかったです。

私を英語の世界に引きずり込んだ人がポール・スタンレーでした。だから私はポールにとても感謝しています。もっともっと英語を勉強して翻訳者としての質を上げたいと思います。

ポールありがと。

最後は関係ない自分の話になってしまいましたが、大体の内容はこんな感じでした。

皆様の参考になれば幸いです。
by ladysatin | 2014-08-03 21:00 | Music & English_1 | Comments(10)