ボランティア翻訳(3回目):命ありて - The Gift of Life

8月なので原爆関連のお話を書きたいと思います。

私は過去に朝日新聞の特設サイト「広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ」のボランティア翻訳に参加しました。

以前そのことについて書いた記事があります。よかったら読んでいただけるとうれしいです。
こちらです。
→ 久しぶりにボランティア翻訳
→ ボランティア翻訳の続き

今日はこのボランティア翻訳で題材として渡されたものを取り上げようと思います。

私の翻訳の仕事は、技術関係が主体です。テクニカルな内容ばかりなので、人物の心理描写や情景描写を日本語から英語に翻訳することは全くありません。なので、そういった翻訳は不得手の部類に入ります。

だからこそ、自分の英文力をネィティブに添削してもらうということは、非常に勉強になります。もちろんネィティブの添削といってもきちっとした英語が書ける人は少ないので、レベルの高いネィティブに添削してもらわないと意味がないことはいうまでもありません。

今回の題材 一人芝居「命ありて」 の英訳では、ネィティブの修正訳で「なるほど」と感じたところがいくつかあり、皆さんにも読んでいただければと思いました。

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一人芝居「命ありて」
 → 日本語原文 
 → 最終英訳 

この記事のタイトルは「命ありて」です。
さて「命ありて」をどう訳しましょう。最初からつまずきました。

「命ありて」を直訳すると With Life あたりになるんでしょうか。しかし、何かそっけないタイトルです。「命とともに」みたいな感じですね。My Life はどうかな?...「私の命」-う~ん、これも何か変です。

どうもしっくりした訳が思いつきません。そこで、「命ありて」をもう少し咀嚼してみました。

この記事は被爆者として生き残った男性が、自身が経験したことを、一人芝居を通じて平和のありがたさや命の尊さを後世に伝えようとする内容を綴ったものです。

そう、命の尊さ。。。私は、とっさに Gift of Life というタイトルを思いつきました。「命という贈り物」が原義ですが、「命ありて」が表したいことはこれではないかと思ったのです。

全訳が終わって新聞社に提出しました。Gift of Life とした理由を添えて。また、ネィティブのプルーフリーダーに違和感があると判断されるようであれば、タイトルは変更してもらってかまわないと書きました。

さて、修正訳が戻ってきました。そこで見たものは Gift of Life ではなく The Gift of Life でした。そうです。定冠詞の The が添えられていたのです。私はこれを見て、何か新鮮な驚きを覚えました。と同時に「ああこれは The Circle Game と同じものなんだ」と思ったのです。

以前のことですが、The Circle Game – Joni Mitchell 訳詞考察 の記事で、なぜ Circle Game に The がついているのかということを考えたのです。もしかしたら、これと同じかもしれないと思いました。つまり、総称用法の The です。普通 Gift から連想されるものは無限大にあります。その無限大にあるものの中から「命」に限定した Gift を指す場合、The が必要なのは言わずもがな。定冠詞のない Gift of Life のぼんやり感では、非常に弱い印象になってしまいます。私はこのことに全く気付いていませんでした。

本にしても曲にしてもタイトルは極めて重要な意味をもちます。返ってきた修正訳を見て、このことを再認識させられた思いがしました。

あといくつか冠詞の誤りを指摘されました。本当に冠詞の使い方は勉強しても自分のものになりにくいものだと痛感します。

英文自体を大きく修正された箇所もありました。その箇所をご紹介します。

主人公の男性が修学旅行の中学生を前に、一人芝居を公演中、やじを飛ばされます。騒ぐ生徒がいても、男性は芝居を続けました。このことが、子どもに被爆体験を伝えることの難しさを象徴する事例として、大きく報じられました。男性は謝罪に訪れた生徒達にこう言いました。

「人の痛みのわかる人間になってください。もう水に流しましょう」

この言葉を私はこう訳しました。
Please become a person who understands pain of people. Let's forget and forgive now.

とりあえず文にはなってはいますが、いかにも日本人が書いた英文と思わせる文です。この程度しか書けない自分が情けないです。もちろん、赤が入って帰ってくることを覚悟していました。

修正訳はこうです。
◎Please grow into adults who have empathy for other peoples' pain. Let this be water under the bridge now.

やっぱり全く違いますね。「人の痛みのわかる人間」の箇所に empathy を使ってあります。「わかる」は understand と反射的に考えてしまったのですが、ここでは「他人の気持ちを理解きる」を表す empathy がふさわしいのです。

そして「もう水に流しましょう」の箇所。自分の訳 Let's forget and forgive now. の英文は悲しくなるほど稚拙です。修正訳は Let this be water under the bridge now. お見事としか言いようがありません。「水に流す」をこう表現するとは。

こんな感じで自分の持つボキャブラリーの貧困さに愕然とする思いがしますが、こういう機会がないと作文能力はなかなか向上しません。私にとってはとても有意義なことでした。

さて、最後の文言です。

渡辺さんは、90分の芝居を必ずこう結ぶ。「原爆で生きることを奪われた同級生の分まで、生きてきた。みなさんも命を大切に、一生懸命生きてください」

私の訳です。
Mr. Watanabe concludes his 90-minute monologue as follows. "I have lived for my classmates who were deprived of life by the atomic bomb. Please value your life and live hard."

ネィティブの修正訳です。
◎Mr. Watanabe concludes his 90-minute monologue as follows: "I continue living for my classmates who were deprived of life by the atomic bomb. Please value your life and live earnestly.

8月が来るたびに、平和の尊さと命の尊さを噛みしめます。それはきっと、このような語り部と言われる方々が、口を開いて、後世へ伝える取り組みをこれまでしてくださったからなのだろうと思います。

終戦記念日の今日、また平和への誓いを新たに。
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by ladysatin | 2014-08-15 19:36 | 英語と私といろいろ | Comments(0)